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TOSSランドNo: 2210403 更新:2012年12月31日

「百人斬り」を道徳で授業する


 アメリカとイラクの戦争は、いつ終わるのか、見当がつきません。しかし、毎日のようにイラク人
が亡くなり、その報復を受け、アメリカ兵が亡くなっています。
 日本は、人道支援としてイラクに自衛隊を派遣しています。それは、当然戦争当事国となったことを、意味しています。
 70年ぶりくらいに、日本は戦争に巻き込まれているわけですが、この間にも、実は日本は多くの戦争をしてきました。
 それは、情報戦争という戦争です。
 これは兵器という武器で戦うのでなく、情報という武器で戦う国家間の戦争といっても良いと思います。
 日本は、これに大変脆く、ほとんど負け続けているといっていい状態です。
 
 情報戦争の中では、当然情報が武器として使われるのですが、その情報は、正しいものばかりとは限りません。
 時には、正しくない情報が真実として扱われ、世論が操られ、本当の戦争に巻き込まれることもあります。
 例えば約15年前の湾岸戦争の時、油にまみれた水鳥の映像が、流されました。
 当時イラクの大統領だったフセインがオイルを海に流したため、水鳥が被害にあったと言われました。
 そのフセインの非道さに対する怒りが世界にあふれ、湾岸戦争は多くの国を巻き込み、イラクの敗戦で終わりました。
 日本はお金だけ出して、人を出さない国だと非難されました。

 しかし、その後明らかになったことがあります。あの水鳥を汚したオイルは、実はフセインが流したものではなく、アメリカ軍の空爆によって
破壊された施設から流れ出たオイルだったのです。
 アメリカは、それをフセインのせいにして世論を味方につけたのでした。
 3年前の9月11日のテロ。まだ記憶に新しいところです。ツインタワーに続き、ペンタゴン(アメリカの国防省)に飛行機が突っ込みました。
 しかし、これも実は飛行機自体はその前に撃墜され、ペンタゴンに突っ込んだのは、偵察機かミサイルではないか・・・という情報も流れています。
 先日は、日本のテレビでもその情報を番組にしていました。
 情報は、どんな武器よりも効果的である時があります。

 さて、日本と中国は今から70年前、戦争状態にありました。
 日中戦争です。この戦いの後、日本はアメリカとの戦争に突入していくのです。
 この日中戦争の時に起きた事件の1つに、「百人斬り」があります。
 現在でも、中国では小学3年生になると教えられ、日本人のひどさの象徴として扱われます。
 日本発の情報でした。これを中国が証拠として扱い、断罪したのです。
 現在まで真実として教えられています。
 南京大屠殺館などにモデルが展示され、毎年多くの国の人がこれを見学します。
 しかし、これは本当のことなのでしょうか。
 現在、その真実を明らかにするため、裁判がおこされています。
 注目すべき裁判だと思います。
 私は、この事件の背景にある事柄は、日本人として知っておくべきだと考え、授業しました。
 その時の授業の様子を、以下に紹介します。(名前は仮名)

 まず、2人の写真をプロジェクターで提示しました。
 向井敏明少尉と、野田毅少尉であることを説明しました。
 2人は、今から約70年前、日中戦争の時に、新聞のニュースになったということを伝え、右下の新聞記事を、紹介しました。

説明1:

 向井敏明少尉です。(プロジェクターで提示)
 野田毅少尉です。(同)
 2人は、今から約70年前、日中戦争の時に、新聞のニュースになりました。
 「百人斬り競争」という記事です。
 この記事の要点は、次の3点です。

  1,昭和12年日中戦争の時、南京に攻め入るまでに、百人斬り競争をした。
  2,野田毅少尉は、中国人105人を斬り、向井敏明少尉は、106人を斬った。
  3,その時に2人は、東京日日新聞、現在の毎日新聞の記者に、百人斬り競争のことを語った。

 この後、東京日日新聞の記者に語った会話について、資料として提示しました。

 野田『おいおれは百五だが、貴様は?』向井『おれは百六だ!』・・・・・・両少尉《アハハハ》結局いつまでに、いづれが先きに百人斬ったかこれは不問、『ぢやドロンゲームと致そう、だが改めて百五十人はどうぢや』と忽ち意見一致して十一日からいよいよ百五十人斬りがはじまった。
 『知らぬうちに両方で百人を超えてゐたのは愉快ぢや。おれの関の孫六が刃こぼれしたのは、一人を鉄兜もろともに唐竹割りにしたからぢや。戦ひ済んだらこの日本刀は貴社に寄贈すると約束したよ。十一日の午後三時、友軍の珍戦術、紫金山残敵あぶり出しに、おれもあぶり出されて、弾雨の中を『えい、ままよ』と刀をかついで棒立ちになつてゐたが、一つもあたらずさ。これもこの孫六のおかげだ』と飛来する敵弾の中で、百六の生血を吸つた関の孫六を記者に示した。

これを読んだ後、次の発問をしました。

発問1:

2人は大東亜戦争終了後、昭和22年南京で行われた軍事裁判で、裁かれました。
新聞に載った「百人斬り競争」が、原因です。
2人は、死刑となりました。銃殺です。みなさんは、これについてどう思いますか。次から選びなさい。

       ア、2人で211人の中国人を殺したのだから、死刑は当然である。
       イ、戦争中の殺人なのだから、死刑は厳しすぎる。懲役刑でよい。
       ウ、戦争中なのだから、人を殺すのは当然。無罪でよい。
       エ、その他

 大半の生徒がアと答えました。イと答えた生徒が二人、ウと答えた生徒が数人いました。
 ここでは、確認するだけで、次の説明に入りました。

説明2:

2人が処刑されてから、約25年後の1971年。朝日新聞の記者であった本多勝一氏が、「中国の旅」という本を出しました。
 そこで、再び「百人斬り競争」について、取り上げました。

 上のように言ってから、「中国の旅」の中で取り上げられている百人斬り競争についての概要をまとめ、読みました。(プロジェクターで提示。)

「『これは日本でも当時一部で報道されたという有名な話なのですが』と姜さんは言って、二人の日本兵がやった次のような”殺人競争”を紹介した。
 『M』と『N』の二人の少尉に対して、ある日上官が殺人ゲームをけしかけた。
 南京郊外の句容から湯山までの約10キロの間に、百人の中国人を先に殺 した方に賞を出そう。
  二人はゲームを開始した。結果は『M』が89人、『N』が78人にとどまった。湯山に着いた上官は、再び命令した。
 湯山から紫金山まで15キロの間に、もう一度百人を殺せ、と。
 結果は『M』が106人、『N』が105人だった。こんどは二人とも目標に達したが、上官はいった、
 ″どちらが先に百人に達したかわからんじゃないか。またやり直しだ。
 紫金山から南京城まで8キロで、こんどは150人が目標だ″
 この区間は城壁に近く、人口が多い。結果ははっきりしないが、二人はたぶん目標を達した可能性が強いと、姜さんはみている。

 この本のシリーズはベストセラーなり、朝日新聞でも大々的に取り上げられました。
 授業では、そのことを言っただけでしたが、実は、この朝日新聞の記事は、大変影響がありました。
 向井少尉の娘さんに向井智恵子さんがいます。智恵子さんは、結婚していましたが、朝日新聞でこのシリーズが紹介されるようになってから、
旦那さんが智恵子さんのことを、「人殺しの娘だ」とののしるようになり、ついに夫婦の間には亀裂が生じ、離婚することになってしまったのです。
 幼い頃は、毎日新聞の記事で近所から白い目で見られ、大人になってからは、朝日新聞の記事で、結局幸せをつかむことはできなかったのです。

 朝日新聞の記者であった本多勝一氏が書いた「中国の旅」シリーズは、ベストセラーなり、朝日新聞でも大々的に取り上げられました。
 そのあと、南京大屠殺記念館の写真を提示しました。そして、次のように言いました。

説明3:

 これは、南京にある大屠殺記念館です。
 ここには、向井・野田両氏の人形が飾られ、「百人斬り」についての新聞記事が紹介されています。
 中国では、小学3年生からこの事件について学校で勉強します。そして、このような記念館が、中国各地に建てられています。
  その資金は、日本が援助しています。

 以上のように、現在の中国での「百人斬り」の取り扱われ方を紹介した後、日本での様子について、以下のように紹介しました。

 日本でも、「百人斬り」について授業されています。
 宮城県の例です。

 1,平成9年5月 みやぎ教育文化研究センターが作成した小学校向け教材「近現代史授業プラン」で、百人斬りが授業された。
 2,授業後の小学6年生の児童の感想
  「ちょっとひどすぎるよ、日本も! ・・・おーい野田さん、向井さん、・・・バカヤロー、人で遊ぶんじゃねー! 
   人間のクズめ!日本のはじ!」
 3,教師はこれに、三重丸をあげた。

以上のように紹介した後、次の発問をしました。

発問2:

今までのことを聞き、どう思いましたか。感想をひとことで書きなさい。

次のような感想が出されました。(代表的な意見を抽出しました。)

  ・中国の人が怒るのも無理はないと思った。
  ・2人ともやりすぎだと思った。
  ・人の命で遊ぶのはひどいと思った。
  ・百人斬りをするなんて、日本もひどいと思った。
  ・人をゲームとして扱うなんてひどい。
  ・ひどい人達がいたんだなあ。
  ・日本は、取り返しの着かないことをやってしまったと思う。
  ・人殺しのゲームをするなんて、最低だと思った。

 戦争だから、仕方がないことだと思う…・・と言うような意見も3,4人ありました。
 おそらく、現在の日本人のほとんどは、この3年1組と同じような感想を持ち、人数のバランスも、ちょうどこのくらいなのではないかと思います。
 この後、次のように言いました。

説明4:

 「中国の旅」出版の翌年、論争が起こりました。それは、百人切り競争は、全くのでっち上げだという人がたくさん出てきたからです。
 そのうちの一人、山本七平氏は次のように言っています。
 1,日本刀で、3人も斬れば、どんな名刀でも刃こぼれし、刀身は折れ曲がり、柄がガタガタになる。
 2,鉄兜もろとも唐竹割りなどは、不可能。
 3,鉄兜という言葉は軍隊にない。鉄帽という。
 4,少尉は、砲車小隊長であり、勝手に砲車や大隊長のそばを離れて、敵陣を襲ったり、飛来する敵弾の中で新聞記者と話をしていたら、
   「違命罪」で軍法会議にかけられる。

この後、アメリカの大学教授の話を紹介しました。

説明5:

 しかし、この時には結局どちらの主張も平行線のまま、論争にけりがつくことはなかったのです。
 そして、平成13年。今から3年前にカナダ・トロントのヨーク大学ボブ教授が百人斬りは、作り話だという説を発表しました。
 次のように言っています。

 1,当初の記事の浅海記者は、2人の将校が実際に中国人を殺すところなど、みていない。
 2,東京裁判では、2人の将校を拘留し、尋問したが、その後解放している。
 3,当時の日本軍は、日本刀で敵を殺すことは、一般的でなかった。
 4,将校の日本刀は、それほど頑強ではなかった。

 以上のようなことを根拠にし、「百人斬り事件は作られた話であり、2人の将校は不当に処刑された」と、主張しました。

 日本と中国以外の国の学者がこれに触れたのは初めてでした。
 授業では、平成13年5月12日の産経新聞を提示し、次のように補足しました。

説明6:

1の浅海記者とは、東京日々新聞(現在の毎聞)の記者で、百人斬りの記事を書いた本人です。
2の東京裁判とは、日本がアメリカに負け、その後、戦勝国によって開かれた裁判です。戦勝国が後から作った法律で敗戦国を裁くという、
前代聞の裁判でした。
リンチのような裁判であったとも言われています。
この裁判により、1000人以上の日本の指導的な立場にあった人が戦犯として裁かれ、確かな実証見聞もなく、処刑されました。
その、東京裁判に百人斬りの罪として2人の少尉も尋問を受けましたが、証拠不十分として、釈放されているということです。
3は、当時の日本軍は、近代的な軍隊であり、日本刀で斬り合うというような戦いはしなかったということです。
銃撃戦が一般的であるということです。

 そして同じく平成13年6月17日。野田毅少尉の獄中手記が、発見されました。
 昭和22年、南京軍事裁判で拘留され、翌年23年、銃殺刑になるまでの約1年間のうちに書いた手記が発見されたのです。
(そう言って次の資料を提示しました。) 

平成13年6月17日。野田毅少尉の獄中手記より
 
十年以前ノコトナレバ記憶確実ナラザルモ無錫ニ於ケル朝食後ノ冗談笑話ノ一説次ノ如キモノモアリタリ。(中略)
 記者「貴殿等ノ剣ノ名ハ何デスカ」
 向井「関ノ孫六デス」
 野田「無名デス」
 記者「斬レマスカネ」
 向井「サア未ダ斬ツタ経験ハアリマセンガ日本ニハ昔カラ百人斬トカ千人斬トカ云フ武勇伝ガアリマス。
    真実ニ昔ハ百人モ斬ツタモノカナア。上海方面デハ鉄兜ヲ、切ツタトカ云フガ」
 記者「一体無錫カラ南京マデノ間ニ白兵戦デ何人位斬レルモノデセウカネ」
 向井「常ニ第一線ニ立チ戦死サヘシナケレバネー」
 記者「ドウデス無錫カラ南京マデ何人斬レルモノカ競争シテミタラ 記事の特種ヲ探シテヰルンデスガ」(中略)
 野田「ソンナコトハ実行不可能ダ、武人トシテ虚名ヲ売ルコトハ乗気ニナレナイネ」
 記者「百人斬競争ノ武勇伝ガ記事ニ出タラ花嫁サンガ殺到シマスゾ ハハハ、写真ヲトリマセウ」
 向井「チョット恥ヅカシイガ記事ノ種ガ無ケレバ気ノ毒デス。二人ノ名前ヲ貸シテアゲマセウカ」
 記者「記事ハ一切記者ニ任セテ下サイ」

其ノ後被告等ハ職務上絶対ニカカル百人斬り競争ノ如キハ為サザリキ。
又其ノ後新聞記者トハ麒麟門東方マデノ間会合スル機会無カリキ。 
シタガツテ常州、丹陽、句容ノ記事ハ記者ガ無錫ノ対談ヲ基礎トシテ虚構創作シテ発表セルモノナリ。
尚数字ハ端数ヲツケテ(例へバ句容ニ於テ向井八九野田七八)、事実ラシク見セカケタルモノナリ。
野田ハ麒麟門東方ニ於テ、記者ノ戦車ニ添乗シテ来ルニ再会セリ。

 記者「ヤアヨク会ヒマシタネ」
 野田「記者サンモ御健在デオ目出度ウ」
 記者「今マデ幾回モ打電シマシタガ百人斬リ競争ハ日本デ大評判ラシイデスヨ。二人トモ百人以上突破シタコトニ(一行不明)」
 野田「ソウデスカ」
 記者「マア其ノ中新聞記事ヲ楽ミニシテ下サイ、サヨナラ」
 
瞬時ニシテ記者ハ戦車ニ搭乗セルママ去レリ。
当時記者ハ向井ガ丹陽ニ於テ入院中ニシテ不在ナルヲ知ラザリシ為、無錫ノ対話ヲ基礎トシテ紫金山ニ於イテ
向井野田両人ガ談笑セル記事及向井一人ガ壮語シタル記事ヲ創作シテ発表セルモノナリ。
 
上述ノ如ク被告等ノ冗談笑話ニヨリ事実無根ノ虚報ノ出デタルハ
全ク被告等ノ責任ナルモ又記者ガ目撃セザルニモカカハラズ筆ノ走ルガママニ興味的ニ記事ヲ創作セルハ一体ノ責任アリ。
貴国法廷ヲ煩ハシ世人ヲ騒ガシタル罪ヲ此処ニ衷心ヨリオ詫ビス。

 授業では、前号で示した獄中手記の一部を提示しました。
 そして、次のようにまとめました。

1,記者との会話は、朝食後の冗談交じりの笑い話であったこと。
2,百人切り競争の記事は、戦場で特ダネを探していた新聞記者が創作を持ちかけたものだったこと。

 上のようにまとめた後、次のように言いました。

説明7:

 現在、向井・野田両少尉の遺族が、毎日新聞や朝日新聞、本多勝一氏などを
 相手取って、裁判中です。
 裁判は、東京地方裁判所にて、現在も行われております。まだ、その結果は出ておりません。
 第8回の公判が10月27日(水)11時より行われます。
 第7回の裁判では、朝日新聞は、その正しさを全面的に主張し、遺族側と全面的に対決しています。

 百人斬り裁判は、東京地方裁判所にて、現在も行われております。
 第5回の裁判は7月に行われました。
 その時には、東京日々新聞(当時)のカメラマンで、浅海一男記者に頼まれて向井・野田両少尉の写真を撮影した佐藤振壽氏(91)が、
車椅子に座り看護士2人と佐藤氏の長男に付き添われ、約2時間明瞭な証言を行ったそうです。
 その時の様子をまとめた記事です。

 証言により、常州発の浅海記事の第一報から捏造だったことが明らかになった。
 記事には、既に二少尉は56人と25人を斬ったとあるが、撮影の際「これから始めると聞いた」と証言した。
 また本多勝一が『中国の旅』を著すに際して、同氏に一切接触がなかったことも明らかにした。

 事後の弁護士会館における稲田朋美弁護士の報告で、佐藤氏の家族は病身・高齢を理由に証人としての出廷に反対されたという。
 しかし佐藤氏は
  「記事は嘘でも写真は本物、自分が撮影した写真が中国の大虐殺記念館に展示されているので責任がある」
と、敢然と証人になることを承知した。

 授業では、裁判については詳しくは触れず、現在も裁判中であるとだけ伝えました。

 その後、向井敏明少尉と野田毅少尉の遺書を紹介して、授業を終えました。
 以下に2人の少尉の遺書を紹介します。

<向井敏明少尉の遺書>
我は天地神明に誓ひ 捕虜住民を殺害せることは全然なし南京虐殺等の罪は全然ありません。
死は天命なりと思ひ日本男子として立派に中国の土になります 
然れども 
魂は大八州(おおやしま、日本)に帰ります
我が死をもつて中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り 
日華親善東洋平和の因となれば捨石となり幸ひです。
中国の奮闘を祈る 
日本の敢闘を祈る
天皇陛下万歳 日本万歳 中国万歳 
死して護国の鬼となります。」

<野田毅少尉の遺書>
南京虐殺事件の罪名は絶対にお受けできません。お断りします。
(中略)
我々の死が中国と日本の楔となり
両国の提携となり、
東洋平和の人柱となり、
ひいては世界平和が到来することを喜ぶものであります。
何卒我々の死を犬死、徒死たらしめない様、これだけを祈願致します。
中国万歳
日本万歳
天皇陛下万歳

中国では、百人斬り事件は、歴史の真実として既に教育されてきています。この情報が日本発であることを悔しく思います。

この授業をした当時は、まだ裁判中でしたが、平成17年8月25日。判決が下されました。
証拠不十分のため、棄却するというものでした。

日本と中国の礎となり、死して護国の鬼となりますと言った二人の名誉は回復されなかったのです。


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