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TOSSランドNo: 6483531 更新:2012年12月31日

三内丸山遺跡


最初は、広いスペースのある教室で実施。

大型掘建柱建物の穴の写真を提示する。

発問1:

これは、何の写真ですか。

説明1:

この六つの穴は、ちょうど5500年前、鳥浜貝塚と同じころ、縄文時代の遺跡です。
青森県で発見されました。(地図で確認)
これは、柱の跡です。
穴の大きさは、直径約2メートル、この定規の2倍。(1メートル定規と比べる。)
柱の太さは、このフラフープよりちょっと大きいくらい。
深さ、2.5メートル(棒を提示)。
穴の間隔が4,2メートル(言いながら、フラフープをおいていく)。

発問2:

どんな建物の跡でしょうか。

指示1:

カードに書いてもってらしゃい。

先着5名が、6年2組歴史博士です。

カードをはって、正解を写真で提示。

説明2:

これは、青森県の三内丸山遺跡というものです。
これを大型掘立柱建物といいます。

発問3:

これは、何に使われていたでしょうか。

指示2:

一つかけたら、もってらっしゃい。

黒板に書かせる。 

説明3:

正解は、この社会科資料集2001年版に書いてあります。
みんなが、ここに移動している時、こっそりとみんなの机の上に先生が配りました。

指示3:

教室に戻って、正解を見つけなさい。(青葉出版P12)

資料集には、「まだわかっていないのです」と書いてある。

説明4:

実は、まだ分かっていないのです。
ですから、もしかしたら、みんなの答えがあたってるかもしれないんだね。
今のところ、物見やぐらとか、灯台、魚の見張台、天文台、あるいは祭りで使われたものではないかと考えらています。
でも、正解は、わからないんです。
みんなの考えが、当たっているかもしれないんです。
このクラスから、本当の事実を発見して歴史博士にる人がいるかもしれない、そうしたら、すごいね。

発問4:

この大型掘立柱建物をつくるには、どんな技術が必要だったと考えられますか。 

説明5:

例えば、穴をほるとか、木を切るとかいうことです。

指示4:

ノートに一つ書けたら、もってきなさい。一つ見せた人は、どんどん書いていなさい。

黒板に板書して、発表させる。

発問5:

大型掘建柱建物の柱は、何の柱でしょうか。
   ア、クリ    イ、ひのき   ウ、もちもちの木

説明6:

正解は、アです。
この時代、クリの木を栽培していたのです。

発問6:

この時代、どんなものを食べていたでしょう。

「これ簡単だよね。」
「資料集に書いてある」という子をほめる。

指示5:

資料集のP の食べ物を指でおさえなさい。

指示6:

隣の人と確認しなさい。

指示7:

押さえながら、聞きなさい。

発問7:

その中で、主食はなんだったでしょうか。
 ① 狩をしてとったしかやいのししの肉
 ② どんぐりや木の実をとったり栽培していた。
 ③ 漁でとった貝や魚

説明7:

正解は③です。

発問8:

では、三内丸山の集落の広さは、どのくらいでしょうか。
 ① 縄文時代はひっこししてくらしていたのだから、校庭の1.5倍
 ② 10数件の竪穴住居が集まって、野球場の1.5倍
 ③ 100件以上の竪穴住居や倉庫などが計画的につくられ、学園の杜や岩本団地ぐらい。
    (学区の誰もが知っている地域)

説明8:

正解は③です。
三内丸山遺跡の発見によって、縄文時代のくらしが今まで考えていた生活と変わってきたといわれています。

発問9:

それは、どんなことですか。

平成8年度版東京書籍P7、今から5年前の教科書を実物提示装置で提示

「自然のめぐみにたよるくらしは、暮らしやすい時期もありましたが、自然の災害などによって、食べ物に困るときもありました。
 住む場所を変えなければならないこともありました。」

最後に新教科書p5の四角がこみを読ませる。

「この北の縄文のむらでは、人々は、自然の森林を切り開いてクリの木を育てて林をつくっていたようです。実は食料として保存し、太い 幹の部分は、建物の柱として使用していたようです。これまあで、縄文時代は、かりや漁をしながら移住してくらしていたきびしい時代 といわれてきましたが、このような見方はかわってくるかもしれませんね。」

語り

1万年続いた縄文時代の生活が、三内丸山遺跡、「大型掘立柱建物」の発見によって、縄文時代のくらしがどのようであったかという考えががらっと変わったのです。
食べるものがなくなると、引越しをしながら暮らしていたと考えられてきました。
しかし、三内丸山、ここは一つの村だと考えれます。
集会所があり、お墓があり、子どものお墓があり、さらに木を育てていた、そして、お米ににた食べ物も育てていたんじゃないかとも考ええられています。
その三内丸山の村は、何と1500年間続いたと考えれているんですね。
しかし、4000年前、突如として、この三内丸山の村が消えているんです。
そのわけは、分かっていません。
大型掘立柱建物が、何に使われていたのか、それもわかっていない。
もしかしたら、みんなの考えが当たっているかもしれないし、はずているかもしれない。
将来、この6年2組から、そのなぞを解いて、歴史学者が誕生するかもしれない。
今日の授業を終わります。

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