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TOSSランドNo: 6718257 更新:2012年12月31日

高学年道徳「シベリア孤児とポーランド」


発問1:

他の国の人々は、日本の事をどう思っているとかんがえますか。

列指名で、聞いていく。

説明1:

今から、100年くらい前、1900年頃の地図です。(クリック)当時は、ロシアと言う大きな国がありました。ロシアが支配している国の中に今のポーランドという国がありました。ポーランドの国の人々は、ロシアの人に逆らったりすると、ロシアの東のシベリアへ連れて行かれ、むりやり働かせられていました。

説明2:

1919年、ポーランドが独立を宣言し、ロシアとの間で戦争をすることになりました。シベリアに取り残された人々は、命が危なくなりました。

説明3:

子どもたちだけでも何とか助けて、ポーランドへ送り届けたい。そういう願いから、シベリアのポーランド人は、ヨーロッパの他の国々やアメリカに助けを求めました。しかし、ことごとく拒否され、最後に日本に助けを求めたのです。

説明4:

日本は、何度か船を出し、合計765名に及ぶポーランドの子どもたちを日本へ迎え入れ、病気を治療したり、休養をしたりした後、ポーランドへ送り返されました。

発問2:

ポーランドの子どもたちが、日本にいる間、日本の人たちは、何をしたと思いますか?

説明5:

日本に到着したポーランド孤児たちは、日赤の手厚い保護を受けました。孤児たちの回想では、特に印象に残っていることとして以下を挙げています。ウラジオストックから敦賀に到着すると、衣服はすべて熱湯消毒されたこと、支給された浴衣の袖に飴や菓子類をたっぷり入れて貰って感激したこと、特別に痩せていた女の子は、日本人の医者が心配して、毎日一錠飲むようにと特別に栄養剤をくれたが、大変おいしかったので一晩で仲間に全部食べられてしまって悔しかったこと

発問3:

もし、あなた達が当時の日本にいたら、どうしますか?

説明6:

当時の極東委員会副会長ヤクブケヴィッチ氏は、こういっています。我々の児童たちをしばしば見舞いに来てくれた裕福な日本人の子どもが、孤児たちの服装のみじめなのを見て、自分の来ていた最もきれいな衣服を脱いで与えようとしたり、髪に結ったリボン、くし、飾り帯、さては指輪までもとってポーランドの子どもたちに与えようとした。こんなことは、一度や二度では無い。しばしばあった・・・。

説明7:

このような手厚い保護により、到着時には顔面蒼白で見るも哀れに痩せこけていたシベリア孤児たちは、急速に元気を取り戻しました。

説明8:

横浜港から、祖国へ向けて出発する際、幼い孤児たちは、親身になって世話をした日本人の保母さんとの別れを悲しみ、乗船することを泣いて嫌がった。埠頭の孤児たちは、「アリガトウ」を繰り返し、「君が代」を斉唱して、幼い感謝の気持ちを表しました。

指示1:

実は、当時、孤児だった人たちは、まだ生きています。当時の話を聞いてみましょう。

指示2:

今日の感想を書きなさい。

参考・引用
国際派日本人養成講座 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog142.html


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