視点を変える作文は、どのような意味を持っているのだろうか。
向山氏は、新分析批評入門(向山型国語教え方教室誌No.31巻頭論文)の中で、
次のように書かれている。
◆ 「作者」と「話者」が違うということが分かるだけで、作品を分析する方法は違ってくる。
◆ 書く視点を、「自分の目から」(一人称視点)にするのか、
「他の目から」(三人称視点)にするのかで、作品の読み取りが違ってくる。
詳細は割愛するが、作品の分析にも、作品の読み取りにも大きく影響してくる。
また、大森修氏の主張を、長文であるが以下に引用する。
「視点」を学ぶことでどんな効果があるか、「視点を鍛える作文技術」より
私たちは、本人が自覚するとしないとにかかわらず、
ある「視点」で物事を理解しているという事実を背負っている。
何かを認識するということは、必ずある「視点」から認識するということなのである。
ということは、相手を理解するということは、相手の「視点」から理解するということでもある。
現代は国際化や情報化というように言われている。
国際化の中で強調されているのが、コミュニケーション能力の育成であるが、
コミュニケーションで相手を理解するということは、
とりもなおさず相手の「視点」を理解するということなのである。
相手の「視点」を知らずして、相手を理解することはできない。(p1・2)
つまり、コミュニケーション能力の育成にも役立つという主張である。
現在で言うならば、「心の理論」相手の立場になって考えることの訓練にもなると考えられる。
特別支援教育の視点からも、視点の変換の授業は効果的である可能性を秘めている。
実際に、翔和学園では伊藤寛晃氏が、広汎性発達障害の学生を指導する際、
次のように話したというエピソードもある。
「今のは君に目玉があるある場合のお話だね。
もし、全体を見る目玉から見たら、いまの君はどんなふうに見えるかな」
「あ…興奮しすぎちゃった」。(TOSS中学:渡辺大祐氏より)
このような視点を変える授業の一つが、向山氏の「まりが坂道を転げ落ちて…」の授業である。
他にも「桃太郎」を鬼の視点で書く指導など、様々な授業に転用されており応用可能である。
「視点」を学ぶことで、作文力だけでなくコミュニケーション能力も身に付く。
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