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TOSSランドNo: 2280752 更新:2012年12月30日

日本人の気概・北条時宗


 教科書や資料集にある「蒙古襲来絵詞」を拡大したものを見せる。
 絵を見せると、子どもたちはいろいろ言い始める。

発問1:

これは日本とある国の戦いです。どこの国と戦っているのでしょうか。

 中国、モンゴル、シンガポールなどいろいろでてきた。
 相手がモンゴル人であることを伝え、「元」ということを教える。
 地図でモンゴル帝国、元の領土を確認する。

発問2:

日本と元、どちらが有利だと思いますか。

 絵を見て、「元」と答える子が少し多かった。

指示1:

その証拠を教科書や資料集で調べなさい。

 ・鎧を着ているので日本が有利。
 ・馬に乗っているので日本が有利。
 ・馬は血を出しているから元が有利。
 ・ 「てつはう」という火薬兵器を使っているから元が有利。
 ・ 集団戦術を使っているから元が有利。

 日本軍が今までみたこともない敵に予想以上に苦戦したことを伝える。

説明1:

この戦いの前に国書が届きました。読みます。(資料1)

資料1 
 わたしは元(モンゴル)の皇帝だ。
 今,元は領土を広げ,勢いがさかんだ。
 元が世界を支配するのだ。
 日本とも親しくしたいが従わないなら,武力を使うぞ。 
               「社会科資料集6年 2012」正進社 より

発問3:

この国書に対して時宗はどういう態度をとったでしょう。
 1.返事をすぐに書いた。  2.無視した。  3.使者を切り捨てた。

 「返事をすぐに書いた」と答えた子が約半数、残りが半々ぐらいであった。

説明2:

この国書を読んだ鎌倉幕府の人たちは怒りました。
蒙古に従わないのなら、武力で攻めると脅しているのだから当然です。
時宗は、この無礼な国書を無視しました。

説明3:

国書を無視した結果、元軍は日本に攻めてきました。これを元寇といいます。
(資料集にある「元軍の規模と進路」の文永の役だけをプロジェクターで映し出して見せる。)

 子どもたちは元軍の兵の多さや船の数の多さに驚く。

発問4:

文永の役で、元軍は結局退却してしまいます。なぜですか。

 暴風雨のせいで船が沈没したりしてしまったからでである。

説明4:

(資料の「元の損害」を見せながら)元の損害はとても大きなものでした。
なんと13,500人が死亡、200せき余りの船が暴風雨によって沈没してしまいました。

 子どもたちはこれを聞いて笑った。

発問5:

文永の役の後、再び元からの使者が来ました。時宗はどういう態度をとったでしょう。
 1.返事をすぐに書いた。  2.無視した。  3.使者を切り捨てた。

 2、3と答える子が増えた。

説明5:

(資料の「弘安の役」を見せながら)元軍は、文永の役の時の約7倍の兵力で攻めてきました。
しかし、結局はまた暴風雨によって退却せざるを得ませんでした。

発問6:

結果的に日本は元軍の侵略を防ぐことができました。
時宗の使者を斬り殺すという判断は正しかったのでしょうか。

 判断が正しいかどうかというこの発問は難しかった。
 そこで次のように発問を変えた。

発問7:

日本に勝ち目はあったのでしょうか。なかったのでしょうか。

 ・時宗は使者の来た時期から考えて、台風がくるのを予想していた(から勝ち目があった)。
 ・二度目は石累を作るなどの対策もしていたから勝ち目があった。
 ・あれだけの大軍だったのだから、台風さえなければ日本に勝ち目はなかった。

説明6:

先生は、日本には勝ち目があったと思います。
4,400せきもの船を造ったのは誰ですか。元に支配された高麗と南宋です。
支配されて命令されて作ってどれだけのものができるでしょうか。
14万人の兵士のうち、元、つまり蒙古人の兵士が何人いますか。たったの140人程度です。
それ以外は支配され、命令されて日本にやってきたのです。
だから日本には勝ち目があったと考えます。

発問8:

もしも、日本が元の言うとおりにしていたらどうなっていたでしょうか。
高麗は元に言うとおりにしました。するとどうなったか。(資料3を読む)

資料3 
 是の年、蒙兵ふる所の男女無慮二十六万千八百余人、殺戮するも物勝て計ふべからず、経る所の州郡皆燼となる。
                    「高麗使節要」(『マンガ日本の歴史17』石ノ森章太郎、中央公論社)

説明7:

「親しくしている」とフビライが言っている高麗は、六度に渡る元の侵略を受け、骸骨が野を覆うほどでした。
もし、日本が弱腰な態度を見せれば、高麗の二の舞を演じていたかもしれません。
台風に助けられたとはいえ、時宗の指示のもと、鎌倉武士はよく戦い、元軍を陸地に近づけませんでした。
これが、勝利を呼び込む一つの原因だったのです。


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