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TOSSランドNo: 7523480 更新:2012年12月23日

『風景 純銀もざいく』覚書その2 なぜ「やめるはひるのつき」なのか


各連に1行ずつ「いちめんのなのはな」以外の行が挿入されている。「いちめんのなのはな」が視覚情報なのに対し,「かすかなるむぎぶえ」「ひばりのおしやべり」は聴覚情報である。第1連も第2連も聴覚情報なのだから当然第3連も…と思っているとそうではない。「やめるはひるのつき」は視覚情報なのだ。つまり,破調になっている。ということは,ここが作者がもっとも強調したいところだと推測される。作者はなぜ「やめるはひるのつき」と言ったのか。
菜の花に月。これはよい。「菜の花や月は東に日は西に」(与謝蕪村)をふまえているのだろう。が,なぜその月が病んでいるのか。
参考文献によって,山村暮鳥の生い立ちや宗教的背景を知ることはできる。それらの情報を元にして,たとえば新井雅之氏のように

この、病める月なのであるが、実は隠喩であって、傷心の暮鳥自身のことを示している。
http://www.wlahc.org/jpz/rappa_hitsuji/arai_agora_bochou_3_19_04.html)

と言うこともできる。
阿満誠一氏は,『山村暮鳥「風景」の分析』で,次のように言う。

どうやら作者は「やめるはひるのつき」という一行に読者の視線を集めたかったと考えられる。そう考えるとき,昼間の白っぽい月を「やめる」と形容した意味は大きいだろう。この一語によって「風景」は単なる叙景詩の衣を脱ぎ捨てることになると言ってよい。昼間の白く見える月を,事実そのままに「しろいはひるのつき」と言っても音数は同じなのに,あえて「やめる」と形容したのは,そこに作者暮鳥の心的状況が反映しているからではないか。うららかな春のある日,あたり一面菜の花が咲き乱れている「風景」は,暮鳥を取り巻く外界の状況を象徴するものである。そして,その外界は,作者を除外するように働いてはいない。詩全体の基調の一つとしてあった柔らかさは外界が作者を拒否するとげとげしいものではなかったことを物語っている。むしろ作者の方が外界に対して違和感を覚えていると考えるべきだろう。外界の明るさ(中略)とは裏腹に,彼の心象「風景」は何かの悩みのために決して明るくはなかった,言い換えれば,外界(現実)が明るすぎるがゆえに溶け込むことができなかったと思われる。漢字で表記される「風景」という題には,以上の,相容れない二つの風景の意味がこめられているのである。

しかし,これらの意見は,結局推測に過ぎないのではないだろうか。


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