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TOSSランドNo: 4309231 更新:2012年12月16日

「やまなし」授業記録


「やまなし」授業記録

指示1:

 はい,では,「十二月における生存競争とは何か」ということで,
討論をしますが,昨日は17名でしたので,できるだけ多くの人が発言をし,何回も発言してる人は,昨日も上手にできたように,あんまり言ってない人が立った場合には,譲り合ってやってください。いいですね。<はい>
 はい,では始めます。

(森田) 「十二月」における「生存競争」とは何か。私は「十二月」の方に
「生存競争」があると思う。なぜかと言うと,「十二月」前は「川蝉」が「魚」を食べたところで,「生存競争」とは言わず,「十二月」の「蟹」と「やまなし」にあたるところが「生存競争」として出ていると思う。「蟹」は「やまなし」を食べる。「やまなし」は自分から落ちて来る。そういうとこをふまえて「生存競争」は「十二月」の方に来ていると思う。「食べる・食べられる」という「蟹」と「やまなし」の対比で,「十二月」の「生存競争」は成り立つと思う。
(貴之) 「十二月」における「生存競争」とは何か。「十二月」にもちゃんと
「生存競争」はあると思います。この物語は,賢治の妹トシ子が死んだ後に書かれていて,「五月」はいわば,トシ子にただ「生き返ってほしい」っていう思い出,ただ単に「クラムボン」を笑わせたに過ぎないですけど,「十二月」から,どうすればいいかが,ちょっとはっきりしてくるんですね。賢治は,トシに「植物」になってほしいと考えたのだと思います。「やまなし」は,落ちても死なずに「お酒」になります。「五月」は「生存競争」があるということがはっきりしているので,この「生存競争」,「五月」の「生存競争」,動物界の「生存競争」に敗れたものは,「生を犠牲」っていうことで,死んでしまいますけど,でも,植物界だったら,このように,落ちて死んでも,もう一回生きる道があるんですね。だから,「五月」と「十二月」っていう「二枚の幻灯」を出したのは,二つとも「生存競争」っていうつながりがあって,その「生存競争」の違い,違いを対比させて,それでのトシ子に対する具体的な思いを書きたかったからだと思います。だから,「十二月」における「生存競争」は,あるっていうか,「やまなし」が落ちて来て,それから,まだ死なないってことが,「十二月」の「生存競争」ということだと思います。
(赤岩) 僕は「十二月」に「生存競争」はないと思います。なぜかと言うと,
僕が作者で,「十二月」に「生存競争」を表すとすれば,こんなほんわかな物語にはしないでしょう。「生存競争」という言葉の響きには,何か恐ろしいものがないでしょうか。生き残る為に戦うのだからです。だから「生存競争」を表すとすれば,ほとんどの人は恐ろしい戦いを文章化するだろうと思います。「五月」のようなことをです。でも,「十二月」は違います。最初らへん,「蟹の兄弟」が泡ぶく競争をやっていて,ここらへんから,ほんわかな物語です。そして最後らへんは楽しそうに「やまなし」が「お酒」になるのを待っています。だから,「十二月」に「生存競争」は存在しないと思います。
(野口) 僕も赤岩君と同じ意見で,「十二月」には「生存競争」はないと思い
ます。それは,「やまなし」は植物だから,「生存競争」とは言わないと思うから,「生存競争」はないと思います。
(岩田) 僕は「生存競争」はあると思います。それは,あの,「五月」は,
「川蝉」と「魚」が「生存競争」ですよね。「十二月」は,あの,えっと,「やまなし」が落ちて来ます。そこを,そこが僕は「生存競争」と思います。それは,「蟹」が「川蝉」の気持ちとかを表しているような感じがするから,僕は「生存競争」はあると思います。
(啓介) 僕は「生存競争」は「十二月」にもあると思います。15の2行目
に書いてありますが,「やまなし」を追いかけています。「やまなし」が落ちている時に,もう「やまなし」は死んだんだけど,「蟹」たちに食べられるということで「生」なのです。それで「やまなし」の最後に,「私の幻灯は,これでおしまいであります」と書いていて,後は読者に想像させるという形で「生存競争」を指しているんだと思います。
(竹永) 私は「十二月」には「生存競争」はないと思います。それは,この物
語では,「やまなし」を食べていないからです。それに,食べるとしても,もしかしたら,下に沈んで来る前に,木の枝にひっかかった「やまなし」がどこかに流れていってしまったりするかも知れないからです。だから,食べたとは言えないから,「生存競争」はないと思います。
(泉田) 僕は「十二月」の「生存競争」は,あると思います。「五月」の「生
存競争」をふまえて言うと,「五月」では,「川蝉」と「魚」が出てきています。これは,戦いの一種です。生か死か,これを起こすことによって,「生か死」が生まれてきます。これは,「十二月」では,「やまなし」と「蟹」です。「やまなし」=「実」,これは,落ちて来て「酒」になり,「死」を導きます(やまなしの)。それは「蟹」が生きていけるように,その「やまなし」を食べます。これは,「植物」と「動物」というふうにたとえていいと思います。ここのところから言って,「生存競争」は,やはり「十二月」にもあると思います。
(長岡) 僕も,「生存競争」は「十二月」にも存在していると思います。まず,
大きくとり上げられているのは,「泡」と「やまなし」です。この「泡」というのは,「生存競争」とは違うと思うけど,一種の「生存競争」だと思います。それは,「泡」が,大小のことで,喧嘩しています。これは,何だか雌を雄が取り合っているような感じがします。「泡」が小さい弟は負けず嫌いだけど諦めない感じで,兄とは強くて短気な蟹だと思います。それで,止めようとする父蟹がいるというふうに,イメージできました。しかも,14頁に,「かわせみだ」というのも出ました。つまり,「やまなし」を「川蝉」と間違いました。これで,恐怖が「蟹」の中に現れます。恐怖というのは,「死ぬんじゃないか」と思うほどの恐怖です。これはです。だから「死」を見,「生きなくちゃ」とか,かならず思います。つまり,戦いの決意だと思うから,「生存競争」はあります。
(小畑) 僕は「十二月」に「生存競争」はないと思います。たまたま「やまな
し」が落ちて来て,それを「蟹」が食べたっていうか,「お酒」になって,飲んだという,そんな感じなんですけど,もし,仮に「やまなし」が,木に引っかからずに,どこかに流れて行ったとしたら,何もならないし,「蟹」的には,「やった,やまなしが引っかかって落ちて来る」という感じなので,ないと思います。
(貴之) 「十二月」における「生存競争」がないって言う人たちは,みんな
「食べられる」とか「どっかに流されていく」とか言うけど,「五月」の「生存競争」と,「十二月」における「生存競争」っていうのは,「五月」と「十二月」とは,全く別の種類の「生存競争」なんですね。何でかって言ったら,この場合で大事なのは,「落ちて食べる」ってことじゃなくて,「落ちてもお酒になる」ってことが大事なんですよ。だから別に,流れて行っても,どうせその「やまなし」は,流れて行っても,「蟹」たちが食べられようが食べられまいが,水の中でのり上げられるってことは,そうないし,まあ確実に,「お酒」になることは,結構確実でしょう。ね。だからその,「食べる」ってことが大事なんじゃなくて,「お酒になる」ってことが大事なんじゃないのかなって思います。
(赤岩) あのー峰君が,さっき何か「トシ」とか,妹のことを言っていたけど,
この物語とか,あのー物語っていうのは,やっぱ作者から独立した,あのーまあ,芸術品なんですよ。だからそんな,最初っから作者の背景と裏付けて,あのー分析するのは,ちょっとそれは,行き過ぎだと思います。
(美羽) 私は「十二月」には「生存競争」は存在していないと思います。理由
は,二つあります。第一に,「生存競争」とは,「自分の方が長く生き延びようとして,弱い他の生物を押しのける為に起こる競争」だと書いてあったので,この「十二月」には,「競争」のような場面はないからです。第二に,自分が長く生き延びようとしているのではなく,ただ「やまなし食べたいな」としか思っていないからです。だから,「十二月」には「生存競争」はないと思います。それに,初めも最後も,柔らかく,優しさが伝わってくるような文だからです。
(原川) 私も,「十二月」における「生存競争」とは何か,私は,「十二月」
には「生存競争」はないと思います。「やまなし」が落ちて来るのは,自然の中のことだと思います。「生存競争」とは,勝さんが言ったように,生きるために争うような姿を言うのだけど,この物語では,争っているような場面はないからです。「生存競争」ではなく,「自然の中での準備」だと思います。それに,「やまなし」が「お酒」になるのを,楽しみに待っているからです。
(貴之) 原川さんが言っていることは,ちょっとおかしいんじゃないですかね。
原川さんが言うには,「生存競争」は「戦うこと」っていうんですけど,「生存競争」っていうのは,別に戦わなくても,長く生きれば・・・長く生きることなんですよ。だから,子孫を残したり,長く生きることだから,長岡君も言ったけど,雄が雌を取り合うのが,「生存競争」には入りますけど,確かに,「戦争」はないですよ,そういう戦いは。でも,やっぱりこれは,ただ何で,みんな「ほんわかだから,そんな生存競争は無いんじゃないかな」って言うけど,そこが,あの,穴なんですね。なんでかって言ったら,だから,「植物界のやつは,こんなほんわかしてんだよ」ってことを表しているんじゃないかなと思います。
(福本) 私は,「クラムボン」が落ちて来て,それを「蟹」が食べるというの
が,「十二月」における「生存競争」であると思います。理由は一つだけど,一つ目,これは,もう実がなってしまった「やまなし」を落とさなければ,木も,次に出てる実も,枝も葉も育ちません。だから,これも一種の「生存競争」だと思います。二つ目の「生存競争」は,その落ちて来る「やまなし」を,「蟹」が食べようとしました。だからなると思います。それと後,原川さんの,さっき言った意見に反対で,「五月」も「生存競争」で,「戦い」はなかったと思います。
(赤岩) えーっと,峰君が,あのー,その「落とし穴」とか,何か長岡君の,
そのー,「雄が雌を取り合う」っていうのは・・・「雄が雌を取り合う」っていうのは,それは,ただ深読みなだけだと思います。だってこの,これ,ただの,ただの「兄弟の喧嘩」っていうか,まあ多分「自慢」っつうか,そんなところだから,そこから,その「雄と雌を取り合う」っていうのを読みとるのは,それは,ちょっと不可能に近いものだと思いますし,あの,峰君の「落とし穴」っていうのは,えっと,そんなことを言っていたら,どんな物語でも,あのーその,「生存競争」とか,もう全てのことに,何でも言えちゃうから,やっぱりこの「やまなし」にある,このほんわかなところをとって,分析した方がいいと思います。
(美羽) 私も,赤岩君に賛成で,峰君に反対で,峰君はさっき,あのー「自分
が長く生き延びようとするのでも生存競争と言える」と言ったんですよね。だけど,それは違って,辞書にも「競争」と書いてあるので,それに文字にも「生存競争」とあるので,「競争」だと思います。それに,赤岩君が言ったように「落とし穴」というのは,違うと思います。理由は,優しい「生存競争」とか「競争」とかいうのはないから,やっぱり,最後の文も,何か,16頁の5行目には何か「きれいだなあ」という感じがもてるので,「生存競争」は存在しないと思います。
(小畑) 僕も「生存競争」は存在しないと思いますけど,あのー,勝さんと赤
岩君が今言っているように,「生存競争」っていうのは「争い」っていうことなんで,あの,ほんわかした物語「やまなし」では,あり得ないと思うし,「生存競争」は・・・忘れました。
 ・・・さっきの思い出したんですけど,例えば,僕と峰君が,二人いて,そいで,リンゴが1個あって,これを食べなければ,どっちかが食べなければ絶対に死ぬ。これを分かち合うというのは絶対に「生存競争」じゃないので,それは省いて,僕と峰君どっちかが1個全部食べれば,どっちかが,その食べた方が生き延びるというので,「僕死ぬから峰君生きて」なんて言う人いないでしょう。それと同じことで,絶対に争いが起きるので,やっぱり違うと思います。
(岩田) 僕は小畑君のに反対で,あっ,忘れました。
(福本) 小畑君のに反対で,「五月」では「生存競争」があるということにな
れば,「戦い」は無いと思います。
(岩田) すみません,間違えたじゃなくて,言いますけど,あの,例え峰君と
小畑君ですよね,それで・・・あっ,やっぱりいいです。
(小畑) すみませんけど福本さん,もう一度お願いします。
(福本) んっと,忘れました。
(貴之) えっと,前,赤岩君が,「トシ子をもってくるのは,ちょっと行き過
ぎだ」って言ったんだけど,僕が考えるには,じゃあ何でこの「やまなし」って物語を書いたのかっていうのは,トシ子が死んだ直後に書いてるでしょう。しかも,これは「生存競争」のことが書いてるじゃないですか。ないですか?
(岩田) 書いてあります。
(貴之) 書いてありますよね。それに,トシ子は何か,宮沢賢治にとっての,
かなり,大事な人だったんですね。それが死んだのに,死んだのを悲しんで,だから,これはどうして書いたのかっていうと,トシ子に生き返ってほしいから書いた物語なんですね。だから,そういうことを考えてみると,やっぱり「十二月」にも「生存競争」があるのではないでしょうか。
(赤岩) いや,僕は,それはないと思います。なぜなら,ちゃんとトシ子が,
あのー,ちゃんとそういう詩が,別にあるんですよ。
(貴之) ありますよ。
(赤岩) ありますから,やっぱり,そこまで「やまなし」にまで表すとなった
ら,やっぱり,もっと具体的にするし,これは童話だから,まあ何回もくどいけど,童話だから,そんな,こんな「やまなし」とか読むのは,やっぱり,幼稚園児,1・2年とかだと思うから,だからそこに,だから知識をもっている人しか分からないようなことを表しても,何かあんまり意味がないから,そんな,やっぱり,そのトシとか裏付けて,そこまでいったら,駄目だと思います。
(美羽) 私も,赤岩君に賛成で,峰君はさっき,妹のトシのことを思って「生
き返ってくれ」ということで,思いを込めて「生存競争」を入れたと言ったんですよね。でも,それだったら,ちょっとおかしいと思います。理由は,妹のトシ子が生き返ってほしいから「生存競争」を入れたとなると,えっと,「生き返ってほしい」という思いなのに,「生存競争」も入ってると,ちょっとおかしくなると思います。
(森田) 他の人の意見も聞きたいんですけど,どうですか。
(赤岩) 他の人が言わないようなので,僕が言います。
 えっと何か,小畑君の用例を用いますけど,なんか,だからこの「十二月」っていうのは,何か,何か俺と小畑君が遊んでたとしますよね。それで,誰かがリンゴを持って来て,えっと「やった,リンゴだー」とか言って,でも「待て待て,3時までだぞ」とか,そういうものだと思います。
(小畑) 今,赤岩君が言っているのは,「蟹」が「やまなし」,「蟹のお父さ
ん」が「やまなし」を息子たちに,「待て待て,二日たったら落ちて来て,おいしいお酒になる」って言ってるのを,今の例えで表していると思います。それと,峰君はトシ子が死んだから,死んで,この物語に「生存競争」を,トシ子の生き返ってほしいという思いを入れて「生存競争」を入れたって言ったんですけど,あのー,別に,別にって言うか,峰君が言った理由,言ったようにしたとしても,別に,それでトシ子を生き返らせて,トシ子が死んだことに何か関係があるとは限らないじゃないですか。
(岩田) いや,僕は小畑君には反対で,峰君は妹と関係があると言っているん
ですよね。そういうことだと思います。
(赤岩) いや僕は,やっぱり,やっぱり違うと思います。だって,やっぱこの,
トシ子っていうのは,あの,賢治の最愛の人だったらしいから,だからそれに,その,えっとその,死んだことの悲しみの表現が,あの,この「十二月」の中には,入ってないんですよ。だから,やっぱ,そんな死んだことで,これを書いたっては言えないと思います。
(美羽) 私も,赤岩君に賛成で,妹のトシ子のことを思って「生存競争」を入
れたと言ってるけど,「十二月」の中には,「生存競争」のことは,あまり入ってなさそうだし,それに妹のトシ子のことを思って「生存競争」を入れたとは思えないからです。
(赤岩) さっきから黙ってるけど,どうなんでしょうか,峰君。
(貴之) えーっと,僕が何でトシ子を入れたかって言うと,僕なりに「五月」
とか「十二月」とかを考えてみたんですけど,その結果どうしても,何でこういうことを書いたのかなって思うと,やっぱトシ子が死んだからってしか考えられないんですよ。何でかって言ったら,「五月」が,何かが「死んだ」けど,いきなり「笑った」んでしょう。「笑った」っていうことは,もしかして「クラムボン」が何人かいるか,もう一回生き返ったってことでしょう。これまず,生き返ったか,多数いるかっていうのは,まず生き返ったって考えてみると,多分これは何で生き返らせたんだろうなって思ったら,やっぱり生き返らせなければいけないわけでもあったのかなって思って,「十二月」に入ったら,今度は「やまなし」は落ちて来ても「お酒」になるっていうことが分かって,それでから,よくよく考えてみたら,それがトシ子の死っていうのにつながってくるなーって考えてみて,それでやっぱり,トシ子が入ってくるんじゃないのかなって思うんですけど。
(小畑) それは,何て言うんですかね,「五月」を無理矢理「十二月」にくっ
つけた,苦し紛れの理由で,完全に,あのー,理由として成り立っていないと思います。
(貴之) でもですね,この「二枚の幻灯」は,元は賢治が創ったものでしょう,
「私の幻灯」って言ってるから。だから,頭の中に幻灯機とフィルムがあって,こう,びゃーんって,映してるって,考えてみてくださいよ。そうすれば,そういうことも成り立つんじゃないですかね。
(美羽) さっき峰君が言ったのを,もう一度言ってくれませんか。よく分から
なかったので。
(貴之) 「さっき」っていうのは?
(美羽) 今の,前の。
(福本) あの,まだ約15名ほどしか言ってないんですけど,他の人はどうな
んですか。
(赤岩) また失礼しますけど,あのー,この物語全てに,あのー,このー存在
理由があるっていうわけじゃないと思います。あのー,「浦島太郎」とか「金太郎」とか,えっとそんな物語も,ただ,そんな楽しむためっつうか,まあそんなものなので,だから童話っていうのは,そんな感じのものです。だから,そこまで,峰君の発表には,あのー本全てに存在理由があるというふうな,まあそんなことを言っているから,この意見を言ってみました。
(美羽) あのー,峰君が,今さっき言った言葉の前の,妹トシ子がどうして,
あのー妹のトシ子の死とどうして関係があるかということを言ったじゃないですか。それをもう一度言ってください。
(貴之) えーっと簡単に説明しますけど,だから結局,「五月」で,「クラム
ボン」をトシ子に映し変えてるんですね。それで,「クラムボン」を笑わせることによって,ただ単純に,「トシ子に生き返ってほしいなあ」っていう気持ちを表しているんですけど,「十二月」に入ってから,それで,考えがはっきりしてくるんですね。トシ子に,植物みたいにね,なってほしいって考えたんですよ。何でかって言ったら,植物はさ,あんまし,「やまなし」みたいに落ちても「酒」になってもう一回生きるじゃんかよ,だから,生きるでしょう。だから,もう一回,死んでも生きるってことは,言いたいんじゃないのかなあと思います。
(美羽) それだとしたら,えっと「五月」の「クラムボン」は分かるけど,
「十二月」の「やまなし」は,あんまりつながらないと思います。
(赤岩) 僕は「クラムボン」も分かりませんね。えっと,僕が思うに「クラム
ボン」っていうのは,ただ,あの,この「やまなし」を,もっと幻灯っぽくするために,えーっと賢治が創造したものだと思います。なぜなら,この「クラムボン」が無くてとか,「イサド」が無くて,ただこの物語が,こうだらだらと続いていたら,あんまり幻灯っぽくならないし,この,ただの,本当にただの「小さな谷川の底を写した,二枚の青い幻灯」になってしまうから,やっぱこの「クラムボン」という,何か分からないものを登場させることで,この「やまなし」という物語は,何か謎めいたような,本当に幻灯っぽい物語になるんです。
(森田) 話が変わるんだけど,だいぶ前に長岡君が言った,なぜ「蟹の兄の方
が短気」と分かるのかということで,質問なんですけど,「短気」を辞書で引いてみると,「気が短く,すぐに腹を立てたり,投げやりになったりすること」と書いてあるので,この12頁・13頁に書いてあることとは,ちょっと違う思うので,なぜ「短気」と分かるんですか。
(岩田) 僕は,えっと「短気」と思うのは,多分,えっと,もう自分が勝ちだ
と思っていても,そのまま「早く寝たいなあ」とか,そういう感じで,長岡君は短気と言ったんじゃないでしょうか。
(小畑) それだったら,全く短気じゃないと思います。
(土居) 僕は,「十二月」に「生存競争」はないと思います。理由は,最初
「蟹」が,「泡」がどっちが大きいか競争していて,まあ競争というか,まあその次で「やまなし」が自然に落ちて来て,その「やまなし」が「お酒」になるのを,「蟹」の親子が嬉し待ちして,大体終わっています。だから,「生存競争」と言えるのをしていないから,「十二月」は「生存競争」はないと思います。
(川谷) 私も「生存競争」はないと思います。まず「やまなし」が落ちて来る
ということは,「やまなし」にとって,イコール「やまなし」の視点からは「生存競争」になると思います。「やまなし」にとっては「生」の為に落として,犠牲で死ぬんだから,それは仕方ないと思います。「蟹」の視点からすると,「やまなし」が落ちて来たのは,「楽しいな」「おいしそうだなあ」等と,安心のムードです。しかも,「やまなし」はまだ食べられていません。また「二日」もあるのだし,「お酒」にもなっていません。これが「ある」になるとしたら,視点は「やまなし」になると思い・・・ああ「やまなしの木」になると思います。やはり「生存競争」はないと思います。
(神田) 僕は「十二月」に「生存競争」はあると思います。理由は,「蟹」と
「やまなし」が「生存競争」になると思います。それは「やまなし」が「お酒」になるので,「蟹」は少しだけついて行っているから,「十二月」は「生存競争」はあると思います。
(川谷) 神田君に質問で,「やまなし」について行ったら,どういうふうに
「生存競争」になるんですか。
(神田) 分かりません。
(聖羅) 話が変わるんですけど,あの,「短気」っていうのは違うと思います。
ええ,兄さんの「蟹」は,何か,「どうだやってみろ」って感じで,弟の「蟹」が,「ああすみません,できません」みたいな,でも何か弟の「蟹」が,反抗っていうか,そういう感じだから,「短気」とかではないと思います。
(川谷) 私も聖羅さんに賛成で,「兄さん」は,ただ負けず嫌いなだけだと思
います。
(貴之) ちなみに,その証拠の言葉と,「負けず嫌い」な証拠の言葉として,
「知らない」というのと,「分からない」というのがあります。えっと「知らない」っていうのは,「そのことについての知識がない」ってことなんだけど,「分からない」ってことは,ただ単に・・・ああ,間違えました,逆に,「知らない」ってことが,「自分の知識にない」ってことで,「分からない」っていうのは,例えば算数だったら「公式を覚えてたんだけど,それでも分からない」っていうことでしょう,になると思います。だから,やっぱり,その「兄」の方は,「負けず嫌い」なんだと思いますね。
(森田) 私も峰君に付け加えで,えっと,気が強いんだと思った文が,12頁
の11行目の「おや,たったそれきりだろう」っていうのと,12行目の「ね」っていうところが,えっと,何か,気が強いということを表していると思います。
(本多) 僕は,「生存競争はない」から「ある」に変わって,理由は,それは
15頁の最初の方に「やまなしの円いかげを追いました」と書いている。これは,「蟹」が「やまなしを食べたいなあ」と思って,「やまなし」を追い,それから「やまなし」が逃げて行って,最後に「やまなし」が木の枝に引っかかって,二日もすれば落ちて来るから,「蟹が勝ち」みたいだから,これは「生存競争」をしているみたいだから,「十二月」には「生存競争」があると思う。
(美羽) 私は,それには反対で,あの,<ここでチャイムが鳴る>「やまなし」
を追いかけて,引っかかったのを,「お父さん」が「二日ばかり待つと,お酒になるから」って言って,嬉しそうにするのは,「生存競争」とは言えないと思います。
(原川) 私も,さっきの川谷さんの意見に賛成で,「短気」じゃなく,あの
「短気」ではなくて,「負けず嫌い」だと思います。12頁の11行目の「たったそれきりだろう」と,12頁の12行目の「ね」で分かると思います。


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