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TOSSランドNo: 1728592 更新:2015年12月02日

神風特別攻撃隊の授業


神風特別攻撃隊の授業

1.授業のねらい

大東亜戦争(太平洋戦争)末期、特に凄惨だったといわれる沖縄戦において、「神風特別攻撃隊」が出撃した。当時の未来ある若者たちが、高い知性をもって現代を生きる私達のために出撃したことを学ぶことによって、日本人としての誇りをもち、今を生かされていることに気付かせる。

2.実践の内容

6年生、大東亜戦争(太平洋戦争)の学習が終わった後に実践する。
授業の開始で、パワーポイントに次の手紙(詩)を提示する。

俺たちの苦しみと死が
俺たちの父や母や弟妹たち、
愛する人たちの幸福のために
たとえわづかでもやくだつものなら。

発問1:

この詩は、いつ作られたのですか?

子供「大東亜戦争の時」
子供「『苦しみと死』って書いてあるから、戦争中だと思います。」

パワーポイントを提示しながら、説明する。

説明1:

1945年 大東亜戦争 末期。
アメリカは、硫黄島を制圧した後、沖縄を目標としました。
1945年4月1日、やってきたアメリカの沖縄上陸の阻止するために出撃した兵士の言葉です。

前時までの復習のために、次の画面を提示して、「この時代でしたね。」と言って軽く扱う。

1941年 大東亜戦争(太平洋戦争) 開戦
1942年 ミッドウェーの戦い
1945年2月 硫黄島の戦い→3月10日東京大空襲などの無差別空襲へ
1945年8月6日 広島に原爆投下
1945年8月9日 長崎に原爆投下
1945年8月15日 ポツダム宣言の受諾

指示1:

彼らの名を「神風特別攻撃隊」、通称「特攻隊」と言います。
全員で言ってごらんなさい。

子供「神風特別攻撃隊。」

Tokkou1

写真のような若者たちが、
「飛行機に250kg爆弾を積んで、アメリカの空母や戦艦めがけて体当たりする。」
という使命を帯びて出撃しました。

Tokkou2

彼らの出撃直前の写真です。
特攻隊の中には、自ら一緒に戦いたいと志願した朝鮮の人たちも含まれています。
彼らは、今、民族の区別なく、平等に靖国神社で弔われています。
末期の酒を酌み交わし、大勢から見送られながら出撃していきました。

説明2:

彼らの捨て身の攻撃を見たアメリカ海兵の言葉です。

海兵隊「10人の内7人は感激の涙をもって見、あとの3人はむしろ憎しみを持って見ている。」
インタビュアー「君はどちらの方か?」
海兵隊「ぼくは、7人のうちの1人である。」
海兵隊「あの人達は死ぬのを覚悟していた。私だって入隊した時は、命を捧げる覚悟だった。でも、あんなやり方では…」
 日本のこれら特攻志願者の人間に、無感動のままでいることも到底できないのである。
(略)
 彼らの勇気、決意、自己犠牲には、感嘆を禁じえないし、また禁ずべきではない。
ベルナール・ミロー『KAMIKAZE』

発問2:

アメリカ海兵たちは、「特攻隊」をどのように見ていたのですか?

子供「ほとんどの人が『すごい』と思って見ていた。」
子供「自分には真似できないと思って見ていた。」

発問3:

捨て身で出撃した「特別攻撃隊員」は、この戦争がどうなると思っていましたか。

3つの選択肢を提示する。

①自爆攻撃の成果が上がって勝つと思っていた。
②勝てはしないが、アメリカが無条件降伏をあきらめ、停戦協定が結ばれると思っていた。
③それでも勝てない。負けると思っていた。

「無条件降伏」の意味が分からない場合は、
「無条件降伏とは、戦勝国が、敗戦国に何をしても、文句を言わない条件で降伏するという意味です。
極端な例を挙げれば、戦争が終わった後、家族が殺されても文句を言えないという究極の降伏条件なのです。」と説明する。

今までの学習の蓄積からか、①を選択する児童は、殆どいなかった。
②が半数、③が半数挙手していた。

Oonishi

説明3:

「特攻隊」の命令を指揮した「大西瀧治郎中将」の言葉です。

これは九分九厘見込みはない。
これが成功すると思うほど、大西は馬鹿ではない。

説明4:

実際に「特攻隊」として出撃した「西田高光中尉」の言葉です。

Nishida

学鷲(私)は一応インテリです。
そう簡単に勝てるなどとは思っていません。

発問4:

指揮官も、特攻隊員も、自分たちが出撃して、勝てると思っているのですか?

子供「思っていない。」
子供「勝てるとは思っていない。」

発問5:

そうならば、特攻隊員は一体何の為に死んだのか?

①家族を守るため
②日本を守るため
③強制されて
④その他(やけくそなど)

①が一番多かった。
②は3名。
③は、1名いた。
④は、約半数だった。

説明5:

これは、特攻隊の人たちの証言を聞くのが一番ですね。

Seki

関行男大尉
ぼくは明日、天皇陛下のためとか
日本帝国のためとかでいくんじゃなくて、
最愛の妻のためにいくんだ。
ぼくは彼女を守るために死ぬんだ。
西条の母上には幼時より苦労ばかりおかけ致し、不幸の段、お許し下さいませ。
満里子殿
何もしてやる事も出来ず散り行く事はお前に対して誠にすまぬと思って居る。
今吾すべてを捨てて国家の安危に赴かんとす

他にも、数名の証言を紹介する。

説明6:

みんな、家族や親に、「先立つ不幸」を詫びながら、家族や日本を守るために、出撃していったのです。

説明7:

「特攻隊は強制だったのか?」という意見があります。
これは、次のような資料があります。

戦時中、米国内で言われたような、特攻隊員は鎖で操縦席に縛り付けられていたとか、(中略)麻薬を射ったり、酔っ払ったり、(中略)精神を麻痺させて出撃したなどという話は、真実から程遠い。
 リチャードネオール『関大尉を知っていますか』

※蔣介石中国国民党軍は、いわゆる第二次南京事件にて、兵士を鎖でトーチカに縛り付けて日本軍と戦わせていたという証言・証拠が残っている。中国やソ連の共産党軍も、督戦隊が組織され、逃亡する同胞兵士を撃ち殺す専門の部隊がいた。

決行に先んじて数日前、時としては数週間、数か月も前から、予めその決心がなされていたという点にある。
ベルナール・ミロ―『KAMIKAZE』

説明8:

もし、本当に、嫌々強制だったら、この間にどこかへ逃げていくことが可能です。
彼らは、予め出撃を命じられていて、命令を待つ間次のような遺書を遺しています。

恋人への手紙
俺は昨日、静かな黄昏の田畑の中で、まだ、顔も見えない遠くから、俺達に頭を下げてくれた子供達のいじらしさに強く胸を打たれたのである。
本当にあのような可愛い子供達のためなら、生命も決して惜しくはない。

愛児よ
若し 御許が男子であったなら 御父様に負けない 立派な日本人になれ
若し 御許が女子であったなら 気立てのやさしい女性になって呉れ
そして御母様を大切に 充分孝養をつくしてお呉れ
父より 愛児へ

最後の日記 海軍大尉 市島保男23歳
ただ命を待つだけの軽い気持ちである。
隣の室で「誰か故郷を思はざる」をオルガンで弾いてゐる者がある。平和な南国の雰囲気である。
徒然なるままにれんげ摘みに出かけたが今は捧げる人もなし。梨の花とともに包み僅かに思ひ出をしのぶ。
夕闇の中を入浴に行く。
隣の室では酒を飲んで騒いでゐるが、それもまたよし。俺は死するまで静かな気持ちでゐたい。
人間は死するまで精進しつづけるべきだ。ましてや大和魂を代表するわれわれ特攻隊員である。その名に恥ぢない行動を最後まで堅持したい。
俺は、自己の人生は、人間が歩み得る最も美しい道の一つを歩んできたと信じてゐる。
精神も肉体も父母から受けたままで美しく生き抜けたのは、神の大いなる愛と私を囲んでゐた人びとの美しい愛情のおかげであった。
今かぎりなく美しい祖国に、わが清き生命を捧げ得ることに大きな誇りと喜びを感ずる。

Oonishi

説明9:

先ほど紹介した「特攻隊」を指揮した「大西中将」です。

大西は特攻隊員達を集め訓示した。豪胆で知られていた大西は話の間中、体が小刻みにふるえ顔面が蒼白で引きつっていたという。
大西は涙ぐんで、「しっかり頼む」と言って訓示を終わった。
大西中将は、パイロットの1人1人と握手して彼らの武運を祈った。
大西は軍令部次長として内地に帰還した。官舎に独居して妻とは一緒に住まなかった。
「週に1度は帰宅して奥さんの家庭料理を食べてはどうですか」
「君、家庭料理どころか、特攻隊員は家庭生活も知らないで死んでいったんだよ。614人もだ。俺と握手していったのが614人もいるんだよ。」
「特攻は統率の外道である」
「死ぬときはできるだけ苦しんで死ぬ」
この言葉どおり、(終戦の翌日)介錯無しの割腹自殺を遂げ15時間あまり苦しんで死亡した。

説明10:

遺書(1945年8月16日)です。

Isho

「血染めの遺書(1945年8月16日)」

特攻隊の立派な霊たちに告げる。
今までよく戦ってくれた…ありがとう… 心から君たちに感謝する。
君たちは日本の最後の勝利を信じて、 肉の弾として散って行った。
しかし、君たちの尊い信念は遂に達成することは叶わなかった。
私は自らの死をもって、君たちと君たちの遺族に謝罪する。

次にこれからを生きる戦後の日本青少年たちに告げる。
軽々しい行動を取れば、利敵行為となってしまうのだから、
私の死によって陛下の尊い決断に従って 自らへの戒めとしてくれれば嬉しい。

戦後を生きる日本人たちよ、これから苦しい時代を生きるだろう…。
だが、どんなに苦しくても日本人としての誇りを決して失わないでほしい。
日本の子供たち。君たちは「日本という国」の宝だ。
どんな時も、「絶対くじけないんだ!」という特攻精神を持ち続け、 日本全民族の福祉と、世界の平和の為に… 最善を尽くしなさい。

海軍中将 大西瀧治朗 命

説明11:

大西中将は、次のねらいがあって、このような亡くなり方をしたと言われています。

①日本民族が将に滅びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者達がいたという歴史を示す。
②これをお聞きになって、陛下御自らの御仁心によって戦をやめさせられれたという歴史を示す。
※これによって、終戦に反対する勢力による反乱を防ごうとした。

説明12:

特攻隊でなくなった「西田高光中尉」の言葉です。

Nishida

学鷲は一応インテリです。
そう簡単に勝てるなどとは思っていません。
しかし、負けたとしても…その後はどうなるのです。
われわれの生命は講話の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっています。そう、民族の誇りに…。
総ての人よさらば、後を頼む。

説明13:

「戦争に負けても、その後の講和条件で1つでも日本に有利な条件が引き出せるようにするために。」と考えて出撃した人もいました。
西田高光中尉は、最後に述べています。
「総ての人よさらば、後を頼む。」

子供たちは、様々な史料を示しても、イメージしづらい側面がある。
そこで、どうしても、想像の領域が入ってしまうのだが、次の映画の中から攻撃の場面を視聴させる。
実写が嫌だという人はアニメ映画もある。

映画「俺は、君のためにこそ死にいく」(監督・石原慎太郎氏)
映画「永遠の0(ゼロ) 」(監督・山崎貴氏)
映画「君を忘れない」(監督・渡邊孝好)
映画「英霊たちの応援歌」 (監督 岡本喜八)
アニメ映画「ザコクピット」(松本零士)

説明14:

それでも、彼らは、無駄死にだったという人がいます。
沖縄戦を生き残った女子学生の証言です。

当時、高女生であったというその女性は、「特攻隊の突入のおかげで救われました」という。
鉄の暴風と称われた米軍の間断ない艦砲射撃も、特攻突入のその時だけは、砲撃はすべて特攻機に向けられる。
女学生たちは、その隙を狙って洞窟から飛び出し、いのちの水を汲みに走った。
「いまでも、特攻の人たちには感謝しています。」
とその老女は涙をにじませる。

授業をここで終わりにしてもよい。しかし、次の言葉を付け足して終えてもよい。
夜回り先生で有名な水谷修氏の講演会で、「援交したって、自殺したって、ヤクやったって、誰にも迷惑かけてない!」という十代の若者に語る言葉があるという。この言葉を引用して、授業を終える。

説明15:

アメリカは、50年ごとに軍事機密史料を公開する。その中に沖縄戦に関する記述がある。
悲惨な沖縄戦の時に、724人が、ガマ(防空壕)に隠れていたという。
しかし、アメリカはジュネーブ条約を破って、民間人かも確かめず、洞窟と言う洞窟で人の気配があれば、爆弾や手榴弾を投げ込み、機関銃や火炎放射を浴びせ、しまいには戦車で穴ごと踏みつぶした。
その時に、中にいた住民達は、洞窟の一番奥に幼い幼児や赤ちゃんを隠し、老人、大人、高校生や中学生、小学生までもが、背中に沢山の銃弾を浴び、絶叫し、絶命しながら、せめて幼いこの子たちだけはと自分を犠牲にして守っていたという記録が出てきた。
724名いた人のうち、たったの12名の赤ちゃんや幼児が生き残った。
特攻隊は、先ほどの証言のように、遠くから彼らを守っていた。

つまり、今、君達が生きているということは、今までの先祖その先祖のたった1人でも子供を育てなかったらつながっていない。過去の歴史の中で、君達は多くの人が捧げた命の上に立っている。広島、長崎、沖縄などで、血だらけになりながら、「せめて幼い子供だけでも!」とつないだ命の1つなのだ。君の命は君のものではない。多くの人から託されたものだ。


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