TOSSランド

コンテンツ登録数
(2019/06/25 現在)

21642
TOSS子どもランド TOSSオリジナル教材 TOSS動画ランド TOSSメディア TOSS-SNS TOSS公式(オフィシャル)サイト
TOSS子どもランド
TOSSランドアーカイブ
TOSSランドNo: 2829959 更新:2015年10月19日

「ごんぎつね」 実践記録


教材について

★予想される子どもたちのつまづき

様々な実践記録を読んでみると、多くの子どもたちは以下の点で、読みの不備・つまづきが見られた。

  〈1の場面のごんのとらえ〉

「いたずらばかりしていました」という文やかわいいイラストに惑わされ、
子どもたちは1の場面のごんが「ちょっとしたいたずら好きのかわいいきつね」というイメージをもちがちである。

だが、本文を丹念に読んでいくと、いたずらのレベルを超える村全体の生き死に関わるような行為(畑荒らし・放火・搾取)をし、そんな村人の怒りを知っているゆえに、ひっそりと人目を忍んで行動するごんが描写されている。
だからこそ、兵十も最終場面で意図も簡単に銃を撃ってしまうのだ。
(「いたずら」ではなく、ごんのやっている行為は「犯罪」であると指摘したのは、野口芳宏氏である。)

ごんは、始めから「よいきつね」であったわけでない。
兵十と関わることによって、少しずつ変容していく。
「ごんの変容」や「兵十や村人の怒り」を理解させるためには、この第一場面のとらえが、重要である。
叙述の読みとりを丁寧に扱いたい。

  〈ごんの気持ちの変容 ~つぐないの気持ちから求愛の気持へ~〉

ごんぎつねは「ごんの求愛のうたである」と言ったのは、岩沢文雄氏である。
ごんの気持ちは、単なるつぐないの気持ちから、自分と同じ境遇の兵十に近づきたいと願う求愛の気持ちへ変容していく。
「かげぼうしをふみふみ」
「(神様のしわざだと話した)その明くる日も、ごんは~」
「土間にくりが固めて」
など、ごんの兵十への思いを表す叙述の読みとりは、初発の感想の段階では、なかなか子どもたちはその意味に着目できない。
だからこそ、授業の中で、子どもたちが自然に気が付いていけるような発問・投げかけ・組み立てをしていきたい。

  〈物語の悲劇性のとらえ〉

「ごんぎつね」は、悲劇である。
多くの子どもたちは、悲しい話であるという感想をもつが、その読みとりのレベルは、子どもによって様々である。
大ざっぱに分けて、3つの段階がある。

  レベル1 ごんが撃たれたから悲しい。ごんが死んでしまったから悲しい。
       (ごんの死について、指摘しているもの。)

  レベル2 ずっと、つぐないをしてきたにもかかわらず、ごんが死んでしまったのが悲しい。
       (物語全体から、ごんのつぐないの気持ちについて指摘しているもの。)

  レベル3 兵十がごんの気持ちを理解したとき(二人の気持ちが通い合ったとき)には、
       すでにごんを撃ってしまったあとであったことが悲しい。
       (ごんだけではなく、兵十にとっても悲劇であったという悲劇の二重性を指摘しているもの。)

 読みとりの力が弱い子は、初発の感想の段階ではレベル1にとどまる。
 また、独力でレベル3まで到達できる子も多くはない。
 授業を通して、より深い読みへ子どもたちを変容させたい。

 ★叙述の不備について

 「ドラマティックなストーリー展開」
 「巧みなごんの心理描写」
 「郷土の風景を描いた美しい自然描写」等、ごんぎつねには、多くの人を惹きつける魅力がある。

「ごんぎつね」は小学校国語教材として、古典中の古典。
すべての教科書会社に採用されている作品だ。
誰もがその内容を疑わないように思える。
だが、調べてみると、文中に誤りと思われる箇所が多数あることがわかった。
わかりやすいものを、四つだけ挙げる。

①2の場面、助詞「たり」の使い方が不適切な箇所がある。
「よそ行きの着物を着て、こしに手ぬぐいを下げたりした女たち」という表記があるが、正しくは、「よそ行きの着物を着て、こしに手ぬぐいを下げた女たち」だと思われる。

②2の場面、ごんは、文中で自分のことを「おれ」と呼ぶが、一カ所だけ「わし」と自分のことを呼んでいる箇所がある。
統一されていないのは、なぜか。
ごんぎつねは、新美南吉が19歳のとき、鈴木三重吉の雑誌「赤い鳥」に掲載されたのが、世に出た始めであった。
その際に、南吉が書いた草稿が、三重吉によってかなり添削されている。
我々が普通読んでいるごんぎつねは、鈴木三重吉によって添削されたものなのだ。
南吉の草稿段階では、ごんは自分のことを「自分」と呼ぶよう表記されていたが、これを三重吉が「おれ」に書き替えた。
ところが、ただ一カ所だけ「わし」となってしまっている。
どうやら、鈴木三重吉のミスらしい。
国立国語研究所日本語教育センター長の甲斐睦朗氏は、次のように言う。

 この「わし」は教材化の段階で「おれ」に改めるべきである。
 もし、改めないなら、原文尊重の旗印の下に誤った日本語を教えることになるからである。
      (実践国語教育別冊『ごんぎつね教材研究と全授業記録』P.25)

③6の場面。「こないだ、うなぎをぬすみやがったあのごんぎつねめが、またいたずらをしに来たな。」という文は、兵十の内言であるが、かぎ括弧がついていない。
この文も、鈴木三重吉が書き加えた一文である。
だが、鈴木三重吉は、原文の表記法を無視し、自分の表記法で書き加えてしまった。
それが、教科書に載った現段階でも、修正されずそのまま残っている。

④6の場面。「物置」にいるはずの兵十だが、火なわじゅうを「なや(納屋)」に取りに行っている。
これは、不自然ではないか。
実は、草稿段階では、「物置」はすべて「なや(納屋)」と表記されていた。
鈴木三重吉は、草稿の「なや(納屋)」を「物置」に修正したのだが、最後の「なや(納屋)」は、鈴木三重吉が見落としてしまったようだ。
よって、一カ所だけ「なや(納屋)」が残ってしまっている。
愛知県にある大府中校長の沢田保彦氏は、
  ①納屋と物置は、同じ物ではないこと、
  ②農家の家にふさわしいのは、農作業の道具や収穫物を保管する納屋であること、
  ③貧しい農家の兵十が、納屋と物置を両方所有することはあり得ないことを指摘している。
          (実践国語教育別冊『ごんぎつね教材研究と全授業記録』P.76~77)

この他にも、かつて6の場面の「兵十はかけよってきました」は、視点論の考え方により、「かけよりました」にするべきではないかということで、研究者の間で一大論争を巻き起こしたことがある。(6の場面は、兵十の視点で書かれているにもかかわらず、先の一文だけが、ごんの視点で書かれている、という指摘である。)
授業の実践記録の中でも、子どもたちがこの文の違和感に気付き、指摘するという記録が残っている。
(大森修氏の実践『国語化発問の定石化』)
結局、草稿と修正文を比較した研究者が、もともとは、兵十とごん、両方の視点で書かれている三人称全知視点の文であった名残であることを発見し、一応論争に決着が付いている。
だが、やはりぽっかりとこの文のだけ、視点が切り替わっているのは6の場面全体のバランスから考えて違和感が出てしまうことは否めないであろう。

以上のように、「ごんぎつね」には文章中、多くの不備がある。
正しい日本語の使い手を育てるという国語教育の目的から考えると、誤りがあるまま、教材として与えることには問題があるように思える。
 (逆に、国語の目標から考えれば、問題点を指摘できる子を育てなければならない。)
だが、問題点を含みつつも、これまで教科書に採用され続けてきたのは、ごんぎつねには冒頭に述べたような多くの魅力があるからであろう。
 (その魅力も、子どもたちに伝えたい。)
教師は「ごんぎつね」の抱える問題点を十分考慮しつつ、読解指導にあたるようにしたい。

1~4時間目

最初の時間は、黙読と読みかせ。
どの子もしーんとなって聞き入り、その後「思ったこと・考えたこと・疑問点」を書かせた。

次の時間とその次の時間は、音読を中心に学習を行う。
ごんぎつねは、これまでの教材と比べると、読むのが難しい教材だ。
内容・中身の学習をする以前に、「すらすら読めない」という状態では、深い読み取りなどできない。
音読の学習は、丁寧に行う。
(追い読み、一人読み、一斉読み、リレー読み、指名なし音読など。)

4時間目に、初めて中身について扱った。
最初の時間に書いてもらった感想で、次のような疑問を書いた子がいた。

   【ごんは、なぜ見つからないようにしているのか。】

第1場面のごんについて尋ねた。

発問1:

ごんは、どんなきつねですか。

A いたずらっ子      B 一人ぼっち
C 雨がきらい       D 村の人の名前を知っている
E 悪者          F 魚が好き
G 穴に住んでいる     H 小ギツネ
I 外に出るのが好き     J 頭がいい

様々な意見が黒板に出た。
国語の意見には、必ず根拠が必要だ。
子どもたちが書いた意見には、根拠はあるのか。
黒板に書かれた意見に対して、子どもたちに自由に意見交換してもらった。

(しばらく教師は口を挟まないで、子どもたちのやりとりを聞いていた。)

 「○○さんに質問です。雨嫌いというのは、どこから分かるのですか。」
 「雨があがると、ごんはほっとしたと書いてあります。」

 「魚が好きという意見に反対です。
  ごんは、いたずらで取っているので、好きかどうかはわかりません。」

 「○○さんの意見に反対です。
 12ページで、自分のことを『わし』と言っています。」
 「でも、4ページに、一人ぼっちの小ギツネと書いてあります。」

 「○○さんに質問です。頭がいいというのは、どうして分かるのですか。」
 「うなぎの取り方が上手いです。だから、頭がいいと思います。」

上記のような意見交換の後、わたしからは、AとKの意見を取りあげて子どもたちに尋ねた。

発問2:

AとKだと、ずいぶんイメージが違います。
ごんのイメージは、A「いたずらっ子」ですか。K「悪者」ですか。

発問3:

Aは26名、Bは5名で、圧倒的に前者が多かったが、5名からは、強い反論が出された。

 「いもを盗んだり、火を付けたりするのは、いたずらとは言えない。」

野口芳宏氏の実践を参考に、次のような語りをした。

説明1:

 確かに、窃盗・放火というのは、いたずらで済まされるものではなく、犯罪です。
 この時代の人々にとって、ごんは生命や財産を脅かす存在であったといってよいでしょう。
 小ギツネという言葉やかわいらしい挿絵を見ると、何となくいたずらきつねというイメージを持ちがちですが、
 文章中に書かれている言葉を吟味すると、必ずしもそうとは言えないことを読み取ることができます。

すると、【ごんは、なぜ見つからないようにしているのか】という子どもの疑問も答えも、自ずと分かってくる。
村人の生命・財産を脅かしているごんが村人に見つかれば、その命を奪われる。
ラストシーンで、兵十がためらいなく銃の引き金を引いたように。

5~8時間目

教科書に書かれている学習のテーマは、「読んで考えたことを話し合おう」である。
考えたことを話し合うためには、物語の流れが、ある程度共通して子どもたちに理解されていないとできない。
場面ごとに、要点を押さえた。

(学習指導要領にも目的や必要に応じて、文章の要点や細かい点に注意しながら読むことが書かれている。)

この物語は、ごんと兵十、二人のすれ違いが物語の軸になっている。 
二人それぞれの視点で、起きた出来事をまとめさせた。

指示1:

各場面で起きた出来事を、ごんと兵十、それぞれの立場から一文でまとめなさい。

まず、1の場面。最初はごんの立場からまとめさせた。
 
ノートに書けた子から、黒板に書かせる。

 A ごんは、兵十のとったうなぎをぬすんだ。
 B ごんは、いつもいたずらばかりしていた。
 C ごんは、兵十のとった魚を逃がしてしまった。
 D ごんは、兵十にすがたを見られてしまった。
 E ごんは、兵十がとった太いうなぎや魚をうばっていった。
 F ごんは、兵十がとった魚をポンポンと川に投げて逃がした。 

 子どもによって、まとめ方が違う。
 それを比較・検討することによって、学習が深める。
 言葉の使い方にこわだるようになる。

  B→いたずらの具体例は?  
  C・F→ポイントは魚ではなくうなぎ
  D→姿を見られたこと△
  E→シンプルにできる 

 意見交換の結果、Aタイプの文がよいというよう結論になった。

 同様にして、兵十についても友達の意見と比較しながらまとめた。 
 6の場面を5時間かけて検討していった結果、次のようになった。

≪1の場面≫
 ◇ごんは、兵十のとったうなぎをぬすんだ。
 ◆兵十は、ごんにうなぎをぬすまれ、おっかあに食べさせられなかった。

≪2の場面≫
 ◇ごんは、いたずらをしなければよかったと思った。
 ◆兵十は、おっかあが死んで、一人ぼっちになってしまった。

≪3の場面≫
 ◇ごんは、うなぎのつぐないに、いわしを兵十のうちへほうりこんだが、めいわくをかけた。
 ◆兵十は、ぬすびとと思われて、いわし屋にひどい目にあわされた。

≪4の場面≫
 ◇ごんは、兵十と加助のあとをつけて話を聞いた。
 ◆兵十は、加助に毎日だれかがくりやまつたけをくれることを話した。

≪5の場面≫
 ◇ごんは、兵十と加助の話を聞いて、ひきあわないと思った。
 ◆兵十は、加助に神様にお礼を言うがいいよと言われた。

≪6の場面≫
 ◇ごんは、くりや松たけをもっていったのに、うたれてしまった。
 ◆兵十は、ごんがまたいたずらをしに来たと思って、うってしまった。

場面ごとに、二人の気持ちが通じているかどうかを尋ねた。

  【1の場面】    ごん    兵十
  【2~5の場面】  ごん →  兵十
  【6の場面】    ごん →← 兵十

2の場面から、ごんは兵十のことを思い始めるが、これは片思い。
双方の気持ちが通じるのは、6の場面である。
ただし、お互いの気持ちが通じたときには、ごんの死が待っている。
これが、物語全体の構造となっていることを確認した。

9~11時間目

子どもたちが始めに書いた感想の中に、次のようなものがあった。

 ・ごんは、なぜそこまでして、兵十を助けようとするのか。
 ・ごんは、どうしてあんなに必死になれるのか。

「ごんぎつね」という物語を読み解く上で、追究したい学習問題である。

この問題を考える前に、まず、ごんが行ったつぐないについて考える。

発問4:

ごんのしたつぐないは、何ですか。

教科書にサイドラインを引かせた。子どもたちが見つけたのは、5カ所。

 A 兵十のうちのうら口から、うちの中へいわしを投げ込んで、あなへ向かってかけもどりました。
 B 次の日には、ごんは山でくりをどっさり拾って、それをかかえて兵十のうちへ行きました。
 C 次の日も、その次の日も、ごんはくりを拾って兵十のうちへ持ってきてやりました。
 D その次の日には、くりばかりでなく、松たけも二、三本持っていきました。
 E その明くる日も、ごんは、くりを持って、兵十のうちへ出かけました。

ごんの気持ちの変化を考えさせるために、問うた。

発問5:

ごんのつぐないのうち、兵十への思いが最も強く表れているのはどれですか。

ノートに意見を書き、少人数で意見交換をし、翌日全体で討論をした。
───────────────────────────────────────────────────
 A(1人) 命がけでやっている。駆け戻っている。
 B(10人) Aで失敗したから、お詫びの気持ち。どっさり=たくさん。
 C(1人) 「かわいそうに」「あんなきずまで」という台詞。同情。
 D(14人) 何日も続いて。高級品の松たけも。くりだけじゃ飽きる。
 E(5人) このあと、ごんのことをわかってもらえている。
───────────────────────────────────────────────────

討論の結果、Dがさらに2人増え、多数派であることは変わらなかった。
子どもたちの生活感覚から言えば、高級品である松たけがあること、くりだけじゃ飽きてしまうこと、
そして、何日も続けて持ってきていることなど、納得できる根拠がたくさんある。
根拠をもって自分の意見を形成できることは、素晴らしい。
だが、教師は、子どもたちの認識を広げるため、文章全体の流れに則った、新しい切り口で話をした。

説明2:

先生は、Eだと考えました。直前の場面のごん。くりを持っていっているのが、神様だと思われて「つまらない」「引き合わない」と言っています。本当にそう思うなら、やめればいい。それにも関わらず、その明くる日もごんは、くりを持っていきます。理解されなくても、兵十のために尽くしたい」という気持ちを読み取りました。

この意見に対し、「ごんはムキになっているだけだ」という反論をした子がいたが、そういう子もまた頼もしい。
この授業をした翌日、子どもたちから出た感想をもとにした問題、

発問6:

ごんは、なぜ必死に兵十へつぐないをするのか

ということについて、話し合いをした。意見を黒板に書き、検討する。

みんなの知恵を合わせると、いろいろな考えが出てきた。

 ①自分のいたずらで、兵十のおっかあが死んでしまったから。
 ②いたずらを反省しているから。(いたずらしなけりゃ…)
 ③兵十に元気がなくなってしまったから。(しおれた顔)
 ④自分と同じ一人ぼっちになってしまったから。

最後に、教師の考えも紹介した。

 ⑤兵十を好きになってしまったから。

12~13時間目

初めてごんぎつねを読んだときの感想で、最も多かったのは、これ。

   かわいそう      かなしい

多く子が、このどちらかについて触れている。
では、「かわいそう」「かなしい」という感想は、どこからくるのか。
同じ言葉を使っていても、その理由・根拠は、一人ひとり違う。
それぞれがもつ読解力、感性、経験によって、異なってくる。

教材「ごんぎつね」で掲げられている学習のテーマは、「読んで考えたことを話し合おう」だが、教科書に次のような学習ガイドがある。

 【感じ方のちがいを知る】
  物語を読んだら、感じたことや考えたことについて、友達と交流しましょう。
  自分一人では気が付かなかったことを教えられ、物語の読み方が深くゆたかになります。
  また、友達や自分自身のものの見方・考え方をあらためて知ることができます。

一人では、思いつかなかった考えに、31人いる教室では出会うことができる。
これまで学習してきたことも含め、感じ方の違いが出てくる話題だと考えたので、最後の学習問題とした。

発問7:

ごんぎつねは、なぜ悲しい話なのか。

ノートに自分の意見をまとめ、いつものように、黒板に意見を書いてもらった。

 A ごんは、兵十に火なわじゅうで打たれたから。
 B ごんは、兵十にくりをあげていたのに、かんちがいされてうたれたから。
 C ごんは、くりや松たけをあげているのに、神様のおかげだと思われて、最後はうたれるから。
 D ごんは、兵十を元気づけようとして、くりをもっていったのに、兵十は、ごんのことをうったから。
 F ごんは、兵十にくりや松たけをもっていったのに、兵十は、それを知らずにごんを打ってしまうから。
 F ごんは、いつもくりや松たけをもっていっていたのに、兵十は、いたずらとかんちがいして、うってしまったから。
 G 兵十につぐないをしたが、見つかってしまい、そのとき、二人の気持ちが通じ合ったから。

A~Cは、ごん側の立場で、悲劇であることを書いている。
D~Fは、兵十側の立場で、悲劇であることを書いている。
この物語は、二重の悲劇であることが、黒板の意見から気付く。
そして、Gは、ごんと兵十とわかり合えたその瞬間にごんの命が消えそうなこと、命と引き換えに通じ合えたことが悲劇であると書いている。

子どもたちに、どの意見が特によいかと尋ねたところ、Gがよいという意見が多数でた。
誰かに言われるまでは、気が付かなかった考え方だったのだろう。
(「気持ちが通じ合ったことは、悲しいことではない」という反論が出たが、
 せっかくわかり合えたのに、死んでしまうから悲しい、という再反論が出る場面もあった。)

この話し合いをベースにして、次の時間、「ごんぎつねの学習をして」というまとめを書かせた。
「感想」を教えることはできない。しかし、授業で分析したり、友達と考えを交流をすることよって、感想を深めることはできる。

以下、ある子のノートにあった記述である。

─────────────────────────────────────────────────────────────────────
 最初は、ごんがやさしいとしか、この物語から伝わってこなかった。
 でも、一の場面から見ていくと、ごんのやさしさだけでなく、兵十の考えやくやしさがわかった。
 ~中略~
 わたしは、ごんぎつねを学習して、「ごんぎつね」とは悲しいお話で、
 兵十とごんの気持ちや思いがバラバラなのか、最後に一つになるという物語だと思った。
 ごんと兵十は、気持ちが一つになれてよかったと思った。
─────────────────────────────────────────────────────────────────────


0回すごい!ボタンが押されました

コメント

※コメントを書き込むためには、ログインをお願いします。
New TOSSランド