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TOSSランドNo: 1231163 更新:2014年01月09日

研究通信「そくてん」 その3


4 体育における「美の追求」とは何か。

「美しい側転」を指導しようとするなら、この部分の研究は欠かせない。

 側方倒立回転の指導について、「テクニカルポイント(技術)」を指導の中心としている実践は数多くあった。 

 指導の原理を明確にし、指導法を具体的に示されていた。

 根本正雄氏の論文がそうであり、金子明友氏の著作がそうであった。

 向山洋一氏も、側転について著作に書いている。

 向山氏の文は、他のどの論文とも違っていた。

運動会の後で「どのようにしたら、あのような側転ができるようになるのか」と私は聞かれた。

  私の答は明確であった。

  「ほめて、ほめて、ほめまくることです」

  事実、私はこの指導の中では「ほめて、ほめて、ほめまくること」しかしなかった。

  とりわけ、ほんのかすかに、側転らしいものをやっている、

  おどおどした子どもたちには、ほめまくった。     

( 『授業の腕をみがく』 P88 )

限られた時間の中で、どの子も美しい側転ができるようになるポイントは、「ほめて、ほめて、ほめまくること」だと主張している。

向山氏は、「ほめること」について続けて書いている。

「ほめる」ということはすぐにできそうだが、なかなかできることではないのである。

  「ほめまくる」ことも一つの芸であり、

  そしてまた大げさに言えば、思想の問題、人生観の問題でもあるのである。

( 『授業の腕をみがく』 P89 )

向山氏は、どうしてこのように「ほめまくること」が出来たのか。

  どうすれば、向山氏のように「ほめまくること」が出来るようになるのか。

  「ほめまくること」ができる要因は、子どもに対するいとおしさであり、

  「そのままが美しい」と感じられる感性・人生観であると向山氏は言う。

  著作の中に、次のように書いている。

体育の苦手な、身体表現のどたどたした子どもでも

  美しく表現できるようになれるということではなく、

  そのような子どもの身体表現がそのまま美しいのである。

  このように思う実践家と、そうでない実践家とは、実践に大きなへだたりが出てくる。

  ( 『授業の腕をみがく』 P89 )

 このような感性・人生観は、「実践家こそが、その最も奥深いところで身につけられる」と言う。

  実践の中で意識し、実践の中で感じ、実践の中で磨かれる感性・人生観なのだ。

  本を読んだだけでは、決して身に付かない部分である。
  
  このような感性・人生観をもった教師にほめられると、子どもの姿はどのように変容していくのか。

  向山氏の著作の中から、一部よみとることができる。

  子どもたちは、このようにはっきりした言い方で、断定的にほめられると顔をぱっと明るくする。

   見ていて、実にかわいく美しい顔である。

   ほめられてほめられてほめられているうちに子どもたちの身体はのびのびしてくる。

   身体がちぢこまっていたのがなくなってくる。

   それは本当に、身体の内部から生命力が湧いてくるように、美しい表現になってくるのである。

   ( 『授業の腕をみがく』 P88 )

 「ほめて、ほめて、ほめまくること」で側転の指導をするなら、このような子どもの姿が見られなければならない。

  技の本質をとらえた指導とは、違う側面での子どもの変化である。
  
  技の指導による子どもの変化を「外部からの変化」とすれば、
  ほめまくることによる子どもの変化は「内部からの変化」と言えるだろう。
 
  「子どもの内なる力」「生きる力」を燃え上がらせることで可能となる変化である。
  
  どちらも「美しい」と言える。

  別々の異なった「美」であり、どちらも大切な「美」だと考える。

《参   考》 兵庫・若鮎の会 : 『立会い授業で腕を上げる』 (明治図書)
           向山洋一 : 『授業の腕をみがく』 (明治図書)
          金子明友 : 『マット運動』(大修館書店)


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