国語の授業で人物の心情の読み取りをする。
書いてある心情だけを正しく読み取りなら苦労は少ない。
書いてあることから、書いていない心情を想像する・・・ここがなかなか難しい。
書いてないのに、どうしてそんなことが言い切れるのか?
書いてないのに、どうしてそうだと思いつくのか。
そのような読解も難しいが、実はもっと難しい読み取りがある。
「Aと書いてあるけど本心はBなのだ」
という場合だ。
中1の国語の『大人になれなかった弟たちに・・』の中に栄養失調で子どもを失う母のセリフがある。
「ヒロユキは幸せだった。母と兄とお医者さん、看護婦さんにみとられて死んだのだから。
空襲の爆撃で死ねば、みんなばらばらで死ぬから、もっとかわいそうだった・・・。」
これは大人の解釈で言えば「裏腹な言葉」である。
幸せだと思いこまないとやりきれない母親の悲しい心境が隠れている。
しかし、
「ヒロユキは幸せだと思う。幸せだったと書いてあるんだから」
と当然のように「幸せ」だと反応する子が半数いる。
本心でないことを口にする、ということがなかなか想像できないのだ。
そこで、次のような例を使って話す。
本当はすごく痛いんだけど、みんなに心配かけたくないから「痛くないよ」と言うことがあります。
「大丈夫、大丈夫」って笑って答えることもあります。
こんな時、「あっ、そう、痛くないんだ」と、あっさり認めてその場を離れてしまっては冷たい人間になってします。
「いや、そんなことはない。絶対に痛いはずだ」
「そうは言ってるけど本当はどうなのかな」
と声をかけてあげられるといいんだよ。
相手を心配かけまいとして、思ってもいないことを言うことがある。
その時に、言葉通り受け取って放置してしまうような子どもには、したくない。
「発した言葉の裏を読む」くらいに思いをはせること、それが「思いやり」なのだということを、国語の読解指導の中の1つとしても位置づけて指導している。
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