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TOSSランドNo: 5800080 更新:2013年10月08日

TOSS写真集(愛知県)


歴史・城

野間大坊 源義朝

血洗の池

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源義朝のお墓があります

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寺社の境内

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野間の灯台

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野間の灯台2

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野間大坊

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野間大坊の鐘楼

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野間大坊の由来

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長篠の戦い

長篠城址の史跡保存館

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鳳来町・長篠城址草の原になっています。
5月の連休には、「のぼりまつり」があり、火縄銃が見られます。

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長篠城址の図面です。
二つの川に挟まれた場所に長篠城はありました。

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設楽が原(新城市)にあります。連吾川は、この写真からは見えませんが、馬防柵の右の平地の真ん中あたりにあります。
信長の連合軍の陣は馬防柵の左です。(写真は右が東、左が西になります。
近くに、資料館(火縄銃や鎧の実物あり)や信玄塚・馬場美濃守の碑、岡崎信康本陣跡などの案内もあります。
盆には、合戦でなくなった兵士の霊を慰める「火おんどり」が400年以上も続いています。

一番右の写真には、壕と盛り土が見られました。
(詳しいことは私にはわかりません。)

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小牧山・小牧山市歴史館

小牧山は、織田信長や豊臣秀吉・徳川家康が関係している歴史的にも有名な山です。
今でも、山の中には城跡と思われる堀や土塁(どるい)が残っています。

1563年(永禄6年)、織田信長が美濃(今の岐阜県南部)の斉藤氏を攻めるために、清洲城(今の清洲町)から小牧山に移りました。
4年後、斉藤氏を攻め滅ぼして美濃に移り、小牧山の城は、誰も住まなくなりました。

1582年、織田信長が本能寺の変で死んだ後、信長の家来同士の勢力争いがおこりました。
その1つが小牧・長久手の戦いです。
1584年(天正12年)、豊臣秀吉と徳川家康が戦いました。豊臣秀吉軍は犬山方面から、徳川家康らの軍は小牧山の城跡をなおし、再び城を築きました。
小牧では大きな戦いはなく、長久手で主な戦いがありました。
その後、両軍は小牧方面にもどり、にらみ合いがありましたが、やがて両軍とも戦いから退きました。
8ヵ月後、秀吉・家康は和解しました。小牧山の城は再び誰も住まなくなりました。

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昭和2年、国指定史跡となり、大変貴重な文化財として認められました。
昭和43年、山頂に小牧市歴史館がたてられました。市民は小牧城と呼んでいます。
歴史館の4階からは、小牧市内はもちろんのこと、天気さえよければ、北は御嶽山などの山々、南は名古屋の町並みも見ることができるすばらしい眺めです。 

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