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TOSSランドNo: 4686341 更新:2012年12月10日

「いじめ」を解決する教師の意識


(1)教師の見えないところで「いじめ」は起こると思え

「いじめ」の本質を考えると、教師がいじめを発見するのは容易なことではない。
というのは、
 教師の見えないところで「いじめ」が起こる
ことが、まずは基本だからだ。
 子供だって教師にバレバレの状態では「いじめ」などはしない(することもある)。
 だからこそ、教師は
 ①自分の見ていない部分で「いじめ」が起きていることを想定し
 ②自分の死角を減らす努力をする必要がある。

 場所で言えば、 
 ①放課中の教室や廊下
 ②トイレ
 ③登下校の道
がベスト3になるだろう。
 放課に子供だけの状態をつくることに注意する。 
 それはいわば「空白禁止の原則」だ。
 教師不在の時間が多ければ多いほど、「いじめ」発生の確率は高くなるとみていい。
 放課もできるだけ教師が子供の近くにいるということは、男性教師なら平然と男子トイレを覗くくらいのことはするということだ。
 ただ、登下校時となると、教師の手の届く範囲を超えている。 
 地域の教育力や家庭の教育力に頼って、遠慮なく一報うただけるような土壌作りが必要である。

(2) 人に言えない「いじめ」があると思え

教師の見えないところで「いじめ」は起こる。
同じような意味合いになるが、人に言えないような「いじめ」がある。
あまりに悲惨すぎて相談することもできないような「いじめ」、例えば裸にされるような行為のことである。
 ・水泳の着替えで裸を見られる
 ・下着を隠される
 ・バスタオルを奪われる
 ・いきなり更衣室から外へ出される
というような悪ふざけは度を超しすぎているが、それゆえ教師や保護者に言うことさえためらわれてしまうのだ。
重松清の小説『ナイフ』では、みんなの前で射精されられるといういじめの描写がある。

①教師や保護者に言えないような悲惨さを伴う行為であるだけに
②非常に陰惨で苦痛を伴ういじめであるにもかかわらず
③本人は誰にも相談できず、苦しみを一人で抱え込んでしまう

そのような「いじめ」も存在することを意識して子どもに接しなくてはいけない。
 「いじめられてない?」
 「いいえ、大丈夫です」
という答えが返ってきたからと言って絶対に安心してはいけない。
 
 「いじめられている」と言えないで苦しんでいる子もいる。
 「大丈夫です」と言いながら全く大丈夫でない例もたくさんある。

かすかなサインを出しながら「大丈夫です」と言った子に対して、教師が言葉通り受け止めて見逃してしまったら、その子はどれほどのショックを受けるだろうか。
繰り返すが、簡単に相談できない「いじめ」の方が陰惨で深刻なのである。

(3)非道な行為が顕在化しない傍観者の問題

あるいじめ事件では、男子生徒が、4時間目終了後の校内清掃中、女子を含む生徒数人の前で級友の男子1人にズボンと下着を下ろされた。
仲の良い同級生に「女の子に見られたことがつらかった」と話していたという。
 
人前でズボンと下着を下ろされるという行為がいかに屈辱で辛いことか。
その時居合せた生徒は教師に言わなかったのか、言えなかったのか(もちろん「やめろ」と言えれば一番いい)。
少年は「見られた」ことがショックだったのだ。
事件が起きたのが4時限目終了後。下校まではまだかなり時間があったはずだ。
見た子や居合わせた子が、その子をフォローしたりケアしたり教師に相談できなかったのかと思うと残念でならない。
 
「いじめによる自殺」というのは、現場の教師にとっては辛いニュースである。
「ちょっとしたからかい」は、いつもある。
だから「ちょっとしたからかい」に傷ついて学校に来なくなったり、心の病にかかったり、死を選んだりする子は、どこの学校でも起こりうる事態なのだ。
事態がこじれてしまえば「ちょっとしたからかい」は「いじめ」としか見なされない。
口にした本人が、いくら「そんなつもりでなかった」「悪気はなかった」と言っても手遅れだ。
相手が嫌な思いをしている限り、その行為は「ちょっとしたからかい」では済まされないのである。
だからこそ、「いじめ」の報道を、傍観者の生徒にも、自分の元のように受け止めてさせていきたいと思う。

「いじめ」や「非道な行為」の被害者が教師に相談できないことはある。
そんな時には、周りの子が教師に相談してほしい。
そうでないと結果的に傍観者もいじめ加害者になってしまう。

被害者が自殺した時、傍観者も一生その事件を背負わなければいけなくなる。
加害者に覚悟がいるように、傍観者も覚悟がいる。
傍観者が立ち上がらないと「いじめ」や「非道な行為」は解決が、難しい。
傍観者になる大多数の子供たちには、「被害者の自殺を止めるのに協力してほしい。」と切に願う。

(3)普段から声をかけるのが一番

2008年の10月6日(金)の中日新聞朝刊のコラム「中日春秋」に、作家池波正太郎さんのエピソードが紹介されていた。
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ある日の放課後、担任の先生が池波さんを人けのない図画室へ連れて行った。
 「つらいことはないか」。
先生は両親の離婚を知っていて、新しい暮らしを聞きながら出前のカレーライスを差し出した。
一気に食べ終えた池波さんが感動して涙ぐむと、先生は何度もうなずき「困ったことがあったときは私にいいなさい。」
以来、池波さんはのびのび登校したそうだ(『食卓の情景』)
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 「つらいことはないか」
 「困ったときはいいなさい」
という言葉を自然に使える教師になりたいと思う。
いじめが話題になった時だけ「いじめられていないか」と聞くような教師は信用されないし、そんな教師に本当のことは言わない。


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