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TOSSランドNo: 2085047 更新:2013年08月31日

1 確かに存在していた日本の「社会規範」


 「道徳の授業など必要ない」と思ってきた。
 教育は多かれ少なかれ,国家の方針を反映する。
 国家の方針を反映しない教育方針は,ありえない。
 私は,日本の国家の方針に反対であった。
 「安保」に支えられた日本の「主権」は,どこかいびつであると思っていた。

 「いびつ」な国の姿を「正しい」とする「国家の方針」は,どこか「いかがわしさ」があると思っていた。
 「いかがわしさ」の代表が,「道徳」であった。
 数学も理科も,それは「真理」の反映である。
 社会科,国語だって,「いかがわしさ」を含むにせよ,多くの「事実」を内包している。
 が,「道徳」は,「思想そのもの」だ。
 「いびつな国家」を支える「いかがわしい思想」は,「ない」方が望ましい。
 

 私の青春した時代は,まだ「戦後」を色濃くひきずっていた。
 戦争中のように,教育によって「軍国主義」の思想に傾けられるのはたまったものではない。
 そのような「主義」は,「ない」方がいい。
 多くの教師も,私と同じ意見であった。
 だから,私たちの時代に,「どのような道徳の授業をすべきか」という論議はない。
 あったのは,「道徳を特設すべきか否か」という論議である。

 日本の教育制度の中に「道徳は特設され」,授業は始まった。
 が,多くの教師は,道徳の授業をしなかった。
 私は,ほとんどやった覚えがない。
 道徳の授業は,教育界の片隅で,どちらかといえば「変わった人々」によって実施されてきた。
 論議の対象にならない実践は,活力を持たない。
 「道徳」の授業は,「白々しい」,「活力のないもの」になっていった。
 私は,それは,それでいいと思っていた。
 が,あまりにも白々しすぎる。
 もう少しは,ましでもいいだろうということで,箱根の道徳会議が開かれ,私がそのまとめとアッピールという形にした。
 そこでは,「白々しい道徳の授業」からの脱皮が考えられていた。

 が,実は,私の心の奥底では,もう一つの考えが存在していた。
 それは,「正しいことは正しい」と教えることは,大切なことだと思っていたからである。
 「叱る」べきことをきちんと叱らないで,長々と「話し合い」をさせることは,馬鹿馬鹿しいことだと思っていた。
 「帰りの会」とやらの「反省ごっこ」は,実は人間を駄目にすると思っていた。
 反省は,ある種の真剣さ,緊張感があってこそ意味があるのに,「帰りの会」には,ダラダラした白けた時間が流れていたからである。

 私自身が,「弱いものいじめをするな」とか,「人に迷惑をかけるな」という,いくつかのことをくり返し言われてきたのである。
 これは,むろん,私だけのことではなく,多くの日本人にとって当たり前のことだった。
 暗黙の「社会の規範」が存在していたのである。
 その源は,親から子へ伝えられてきた我が家の方針であったり,生き方であったり,あるいは,宗教上の教えや儒教の教えであったりしただろう。
 しかし,そうした「教え」は,日本中のどこにも存在していた。
 空気のようなものだった。

 「道徳」の授業をすべきだという考えが出てきたのは,その後の世の動きである。
 二つある。

 一つは,ソ連を中心とする社会主義体制の崩壊だった。
 崩壊したこと自体は,たいしたことではない。
 国の興亡はどこでもある。
 崩壊した結果,明らかにされた様々な事実がある。
 民族の英雄といわれたチャウシェスクは,単なる独裁者にすぎなかった。
 理想のソ連を作ったというスターリンは,何十万人の人々を虐殺した殺人者であった。
 この世の理想といわれた北朝鮮は,デタラメな経済政策(全ての土地をトウモロコシの段々畑にしたため,治水力がなくなり,川は土砂で埋まっていった。水害は台風のためではない。電線を土に埋めたため,ほとんどの電力が漏電し,安定した電力を供給できない。 近代的な機会を動かせない)のため,世界最貧の国に没落した。
 これらに比べれば,戦前の日本の国は,まだしも品位があり,人間的であった。
 なぜ品位があったのか。
 まぎれもなく,社会的規範が存在していたからである。

 もう一つは,「理解しがたい子の出現」であった。
 乱暴はする。ぬすみはする。それも思いっきりする。
 むろん,昔もヤンチャはいた。
 しかし「悪いことをしている」という意識はあった。
 叱れば,とりあえず,頭を下げた。
 しかし,叱ると教師に向かってくる小学生がいる。
 少ないけど存在する。
 それだけではない。
 水道の蛇口におしっこをかけている子がいて,あまりにひどいので,親に注意したら,「先生が悪い」と文句を言ってきた。
 つまり「親子二代」にわたって,「社会的規範」ができていない。
 親子二代,五十年かかって作った無軌道である。
 この責任の一端を,日本の教育は負っている。
 子どものときに,「悪いことは悪い」という教育をしなかったむくいが,今あらわれている。

 なんとかしなければ,日本の国が芯から崩れていく。
 中心が腐っていく。
 こうしたとき「悪さ」の波及は速いのだ。
 これは,「白々しい道徳」の授業をなんとかしようという軽い問題ではない。
 日本の進路をめぐる重大問題である。

10

 「悪いことは悪い」というような,社会の基本となる規範を,小さい時から教えなくてはならない。
 水道の蛇口におしっこをかけて叱られたら,「ごめんなさい」という子どもを育てなくてはならない。
 まして,叱った先生にくってかかる親の存在を許してはならない。

11

 しかし,「社会的規範」とは,何なのかという問題が起こる。
 かつての修身と同じでいいわけがない。
 個人の思いつきで作るようなものであってはならない。
 何千年もの風雪に耐えられるような「社会的規範」を,ぜひはっきりさせなくてはならない。

12

 しかし,今の日本にはない。
 あまりにも多すぎるのだ。
 芯となる規範は,せいぜい十もあればいい。
 五つぐらいでもいいだろう。
 それは何なのか!
 誰も知らない。
 日本の「道徳教育」では,一度として論議されていない。
 ここが,最も大切な出発点なのに,誰も主張しない。
 千葉県の岩根小で,私が授業を通して提案したことの第一は,この点にこそあった。

TOSS道徳「人間の生き方の原理・原則」
(1) 相手のことを心から考えよう
(2) 弱いものをかばおう(弱いものいじめをするな)
(3) 世のため人のためになることをしよう
(4) まず自分にできることをしよう
(5) 先人に学ぼう


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