TOSSランド

コンテンツ登録数
(2018/10/24 現在)

21535
TOSS子どもランド TOSSオリジナル教材 TOSS動画ランド TOSSメディア TOSS-SNS TOSS公式(オフィシャル)サイト
TOSS子どもランド
TOSSランドアーカイブ
TOSSランドNo: 9774785 更新:2013年08月23日

感動の道徳 「杉原千畝から学ぶ」


参考資料

「杉原千畝物語」杉原幸子・杉原弘樹著(金の星社)
「アンネ・フランクはなぜ殺されたか」バーバラ・ロガスキー著(岩波書店)
「学校の失敗」向山洋一著(扶桑社)

授業の流れ

「アンネ・フランクはなぜ殺された」より、ユダヤ人が連行されている写真を提示。

指示1:

この写真を見て気づいたこと、思ったこと、はてな、疑問をノートに書きなさい。

「先生何個書いたらいいの。」と山木さん(仮名)。
『目標は、3個です。1分ぐらいですから素早く書いてください。』と言う。
2分程度で発表にうつる。

みんな手をあげている。
前のちっちゃい子があやしい。
昔の写真か?
銃を持っている。たぶん兵隊。

等が出てきた。みんな3個以上書けていたので、指名なし発表でテンポよく発言していった。

説明1:

これは1942年のポーランドのワルシャワでの写真です。ナチスドイツがユダヤ人に出頭しろ!と命じて連行(連れて行っている)写真です。武装(武器を持った)兵士が取り囲んでいます。
このとき1万人のユダヤ人がユダヤ人というだけで連れて行かれました。そして3000人が・・・・・銃殺されたのです。今から60年ほど前、ポーランドでの出来事です。当時ユダヤ人は、ユダヤ人というだけでナチス(ドイツ)から迫害されていました。

貴重品はすべて没収。ラジオを持つこと。電話を使用すること。ペットを飼うこと。理髪店へ行くこと。配給の食糧をもらうこと。学校へ通うこと。プールを使うこと。外国へ行くこと。各地からの追放。

これら全てが禁止されていたのです。そんな時代の話です。ポーランドやドイツフランスでも同様の状況でした。600万人ものユダヤ人が殺されたとも言われています。

5年生はまだ第2次世界大戦もならっていない。
また6年生も世界の状況については勉強していないので、このような導入を行った。
(なお死傷者等は未だに確定していない。いろんな数字が出ているが代表的な数値を使用した。)

そんな時代のポーランドのすぐ隣、リトアニアでの話です。(地図提示)
1940年(昭和15年)7月27日の朝のことです。首都カウナスにある日本領事館のまわりをびっしりと人の群が埋め尽くしました。

こう言って、「杉原千畝物語」より日本領事館前の様子を写した写真を提示した。

指示2:

この写真を見て思ったこと、わかったこと、はてなを書きなさい。

「ネクタイとぼうしをかぶってこの時代にしてはリッチ。」
「みんなせまそう。」
「何かを見ている。」
「入られないのか。」等が出てきた。
服装がコートを着ている人が多いのも発見した児童もいた。そこで次の説明をした。

説明2:

この辺は、寒くて冬になるとマイナス30度にもなるところです。とても寒いのです。

次の指示に入った。

発問1:

 この人たちは実はユダヤ人なのです。では、どうしてユダヤ人が日本領事館の前へやってきたのでしょう。次の中から選んでください。
  1 当時食べ物がなかったので、食べ物をもらいに来た。
  2 国外へ出るためにパスポートをもらいにきた。
  3 当時日本とドイツは手を組んでいたので、日本に抗議しにきた。

 ノートに番号を書きなさい。そしてわけも書きなさい。

こう言うと1の児童が1名、2が5名、3が1名となった。
わけを指名なしで発表してから、答えを言う。

説明3:

 実はユダヤ人の代表者は杉原に次のように言ったのです。
「ナチスのユダヤ人狩りからのがれることのできる国は、もう西ヨーロッパにはありません。オランダもフランスもドイツに負けてしまいました。わたしたちユダヤ人にとってソ連から日本を通ってアメリカや南米に逃げていく他ないのです。」
答えは2番です。日本を通るためのパスポート(ビザ)をもらいに来たのです。

「助かる方法は、これしかなかったのです。」

と繰り返した。そして地球儀でリトアニアの場所を指さして、

説明4:

こちらはドイツ、フランスです。こちらへ行くことはできません。ソ連(ここです。)を通って、日本へ行きます。そしてアメリカや南米に行きます。ずいぶん遠回りですね。

と言った。
地球儀で説明しないと場所的な関係が分からない。
地球儀でその遠さを示した段階で理解できたようである。

次に、「学校の失敗」扶桑社のP228の「決断」を読んでいった。

説明5:

 領事館の窓からは、外交官杉原千畝が助けを求める数百人のユダヤ人を見ていました。ビザを発行できるのは杉原ただ1人でした。(補足説明・・日本からの外交官は杉原1人だけで家族と一緒にリトアニアへ行っていたのです。)しかし、外務省の許可がなければビザは発行できません。当時日本はドイツと手を組んでいましたから日本領事館がユダヤ人にビザを発行すればドイツから敵と見なされます。ゲシュタボ(ドイツの秘密警察)に命を奪われるかもしれないのです。ソ連からは領事館立ち退きを要求されていました。様々な理由からビザの発行は困難な状況だったのです。しかし、領事館に詰めかけた人々の祈るような顔を見ると胸が締め付けられます。

ここまで読んで、次の発問をした。

発問2:

一晩中悩んだ杉原は意を決して日本の外務省に「ユダヤ人がビザの発行を求めてやってきている。追いつめられた彼らを何とか助けてやりたい。」と電報を打ちました。さて外務省の返事は次の内のどれだったでしょう。
         否(だめだ)     可(よい)

ノートに否か可を書くように指示した。
全員迷いなく「否」を選んだ。ここはテンポよく答えを言う。

発問3:

やってきた返事は「否」だめだ、というものでした。今度は緊迫したユダヤ人の様子も加えて電報を打ちました。返ってきた返事は次のどれでしょう。
        否(だめだ)      可(よい)

これもノートに書かせた。全員「否」だった。これもテンポよく答えを言う。

発問4:

返ってきた答えは「否」でした。そこで祈りを込めて3回目の電報を打ちました。返ってきた返事はどれでしょう
        否(だめだ)     可(よい)

これも全員「否」だった。答えを説明する。

説明6:

 「返事は大量の外国人が日本国内を通ると大変危険である。ビザの発行は絶対ならぬ」でした。答えは「否」です。

3回も外務省へ頼んで「否」と言われたのである。

指示3:

3度目の電報を読んだ杉原は心を決めました。そして妻、幸子に何と言ったでしょう。予想してノートに書きなさい。

いろんな意見が出てきた。

ユダヤ人を助ける。
ぼくはビザを渡す。
ぼくは無断でビザを発行する。
ぼくにはユダヤ人の命は救えなかった。
外務省はだめだった。
おまえたちはここから出ていって安全なところへひなんしろ。
もうぼくはだめだ。
まだおれはいけると思う。まだ送る4度目の正直。

ゆっくりと答えを発表する。

説明7:

答えは「幸子(これは妻の名前です)私は外務省に背いて領事の権限でビザを出すことにする。いいだろう。」と言ったのです。
妻は「あとでわたしたちがどうなるか分かりませんけれど、そうしてあげてください。」と言ったのです。
杉原は「大丈夫だよ。ナチスに問題にされるとしても家族にまでは手を出さないだろう。」と言いました。

話を続ける。

説明8:

7月31日の早朝、杉原は表に出ました。数百人のユダヤ人が領事館を取り巻いています。その群衆に杉原は告げました。
「ビザを発行します。」一瞬の沈黙・・・、そして大きなどよめき。天に向かって手を広げ感謝の祈りを捧げる人、子どもを抱き上げて喜びを押さえきれない母親、心の底からの喜びが伝わってきました。朝9時から夕方遅くまで杉原は 昼食を取らずにビザを書き続けました。翌日も翌々日も杉原はひたすら机に向 かいました。できるだけ多くの人を救うために外務省への報告もやめ無料で・・・当時ビザを発行するのはお金を払っていたのですが、・・無料で手続きをしたのでした。
睡不足で目は充血し、痩せて顔つきまで変わりました。ソ連から「領事館退去命令を無視して杉原はビザを発行し続けました。
8月28日までの28日間、およそ6千通のビザを発行したとき、ソ連から強硬(強い)退去命令がきたのです。外務省からも「至急退去せよ」の電報が届きました。これ以上カウナスにいることは死を意味しました。杉原はリトアニアを去る汽車に乗り込みました。駅には助けを求めてユダヤ人がきていました。睡眠不足と疲れで倒れる寸前だった杉原は汽車が走り出すまで窓から身を乗り出してビザを書き続けました。汽車が走り出し、もう書くことができなくなりました。
「許してください。私にはもう書けない。みなさんのご無事を祈っています。」
ぼろぼろの体からこれだけ絞り出すと、ホームに立つユダヤ人たちに深々と頭を下げました。
「スギハァラ。わたしたちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ。」
列車と並んで泣きながら走ってきた人が、姿が見えなくなるまで何度も叫び続けていました。杉原はだまって目を閉じていました。なすべきことは終わったのです。

少し長いが子ども達は真剣に聞いていた。
スライドを提示しながら話すので子ども達は、集中して聞いていた。

発問5:

さて「あなたにお会いしますよ。」と言ったユダヤ人は杉原さんに再会することができたでしょうか。

これは6名が「実現しなかった」、で2名が「実現した」であった。
答えを告げずに次の発問を行った。

発問6:

 第2次世界大戦が終わり10年ぶりに日本へ杉原さんは帰ってきました。そして外務省から呼び出されました。さて外務省へ行くと何と言われたでしょうか。
   1 おつとめご苦労様
   2 やめてもらいます
   3 いけないことをしたがそれでかまわない。

3択にした。1が1名、2が4名、3が3名になった。
意見が完全に分かれた。

説明9:

次のように言われたのです。「例の件で責任を問われている。君の居場所はもうないのです。やめてください。」です。正解は2です。

これは意外そうであった。

説明10:

 杉原はぽつりと外務省から言われたことを言うと黙り込んでしまいました。ユダヤ人を助けたときから覚悟はしていました。しかし、彼は外務省のために全力を尽くして働いてきたのです。やはり、それは辛いことでした。それでも杉原は一言の弁明もせずに引き下がったのです。また、外務省の中には「杉原はユダヤ人にお金をもらってやったのだから、金には困らないだろう。」という根も葉もない陰口を言う人もいました。杉原の悔しさはどれほどだったでしょう。しかし、杉原はその思いを自分の胸にしまいこんで抗議1つ口にはしませんでした。生活は苦しくなりました。杉原は、ロシア語ができたのでロシアとの貿易の仕事は始めたのです。50才を過ぎた杉原は家族・・・4人の子どもがいるのですが外務省を辞めさせられた年に三男が亡くなりました。病気です。・・・・家族のために一生懸命に働きました。

一気にここまで読んだ。三男が亡くなったということは、「学校の失敗」には書いていないが杉原幸子さん(妻)が書いた本に書いてあったことである。二重の苦しみである。

説明11:

それから二〇数年。1人のユダヤ人ニシユリ氏が杉原さんを訪ねてきました。彼は杉原に一枚の紙を見せて、「これを覚えていますか。」と聞きました。その手にはかつて杉原が書いたビザが握られていました。ぼろぼろになっても大切にもっていたのです。ビザをもらい無事脱出したユダヤ人たちは戦後ずっと杉原を捜し続けていたそうです。・・・・なぜ二〇数年も探していたのに見つからなかったかというと杉原さんはユダヤ人に名前を教えるときに、外国語で発音しやすいために「せんぽと教えていたのです。ユダヤ人はみな「せんぽ」と呼んでいたので、ユダヤ人が「せんぽ」で探しても見つからなかったのです。・・・
杉原はあのときのユダヤ人が目の前に現れ、自分の行為が無駄ではなかったことをしったときに初めて今までの苦労が報われた思いがしました。
昭和六〇年の一月にはイスラエル(ユダヤ人が多い国)から日本人で初めて「諸国民の中の正義の人賞」をもらいました。杉原はテレビ等で騒がれましたが「当然のことをしただけだから・・」といってまるで人ごとのようにたんたんとしていたと言います。そその次の年に杉原の体の具合は悪くなりベットに寝たままの生活が続くようになり昭和六一年七月三一日静かに息を引き取ったのです。
杉原の死後妻、幸子はアメリカやイスラエルなどから招待さて幸子は何百人ものユダヤ人に迎えられました。誰もが当時のビザを宝物のように大切に持っていました。
ビザには懐かしい夫の字が並んでいました。急いで書いているのでますますゆがんで見えました。同じ人間が書いたと思えないほど字が崩れていました。腕が痛くて動かなくなりながら書いていたので夫の苦しみが伝わってきます。
たくさんの人々が幸子の手を握りしめ涙ぐんで出会いを喜んでくれました。

ここで、

指示4:

今日の授業で杉原さんから学んだことを書いてください。思ったことでも結構ですよ。

と言って終わる。

児童の感想

■杉原さんは最初は認められなかったのに数十年たって認められたのは、努力のかいがあったんじゃないかと思った。

■すごいな。結構有名だったんだなー。かなり知られていたんだ。切手になっているとは。

■初めはビザを書くのをやめろと思っていたけど、今思ったらいいことなんだなと思った。

■杉原さんはすごい人だと思う。わたしだったらこわくてできなかったなと思った。ユダヤ人はなぜ差別されたか不思議だ。

■杉原さんはすごい人だと思った。自分がどうなるか覚悟してビザを書いたことに驚いた。それにすごい勇気のある人だと思った。

■杉原さんはすごいと思った。ビザをいっぱい書いたのがすごい。へとへとになりながら書いたのがえらいと思う。法律とか決められてるからってビザを渡さず無視してでも渡したのがすごい。

■杉原さんのしたことは、いいことだと認められてよかったと思う。もし認められなかったら、ただ悪いことをした人になると思う。

■世界不思議発見では分からなかったことも分かった。ユダヤ人の人もよくそんなにがんばって杉原さんに会いに来たな、と思った。


0回すごい!ボタンが押されました

コメント

※コメントを書き込むためには、ログインをお願いします。
New TOSSランド