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TOSSランドNo: 4159322 更新:2013年08月17日

誰にでもできる「やまなし」の対比の授業 3


3 授業展開

1 対比を考える。

(1) 対比を書く。

指示1:

『やまなし』の文章全体の対比をずばりとノートに書きなさい。

 ここでするのは、『やまなし』の文章全体から代表的な対比と考えられるものを取り出すことである。
 『やまなし』の文章にある言葉の対比をすべて探すことではない。
 文章の中に入っていない言葉でも自分がそう考えるのならば「対比」である。

(2) 板書する。

指示2:

一つ書けたらノートを持ってきなさい。板書していきなさい。

 黒板中央に←→を一本書いておく。
 最初に来た子には←→の右に「恐ろしさ」左に「静けさ」を書くように指示する。
 次の子からは、最初の一人が書いた下に書かせる。
 どちらに属するのか考えながら板書させる。
 子どもたちは、自分の書いてきた対比を、すでに板書された対比と比べて左右どちらに書けば適切かと考えながら板書することになる。
 以下の対比が板書された。

  恐ろしさ← →静けさ
 さわがしい← →静か
    恐怖← →平和
    恐怖← →安心
    恐怖← →喜び
   水の中← →水の外
 さわがしい← →落ち着き
  かわせみ← →やまなし
     朝← →夜
     春← →冬
  幼いかに← →成長したかに
   ?生 ←→死
   ?死 ←→生

指示3:

板書したものの<説明>を,順に発表して行きなさい。

・「恐ろしさ」というのは、五月でかにがこわいいようと言っていることを代表として、「静けさ」というのは、十二月の場面が全体的に静かなゆったりとした感じがあるのでそのような対比をあげた。
・「恐ろしさ」というのは、今までみんなが言ったことで、「喜び」というのは、やまなしが落ちてきて、それを食べる喜びを見いだしたということ。
というような意見を発表していく。

(3) 質問をする。

指示4:

質問があれば,しなさい。

 「水の中外」の対比に質問が出た。 
・「水の中」と「水の外」の対比は、あげられた対比から見れば合わないのではないか。
・だが、この水の外というのは、「死んでいること」を意味する。水の中というのは、「生きている」ことだ。
・いや、「やまなし」は水の外だが、死んでいると考えていいのか。
・水の外は、「死んでいる」というよりも、知らない世界と考えた方がいいんではないか。だから、「知っている」「知らない」の対比ではないか。
 「水の外」と「水の中」という捉え方はユニークで、これも「生死」の対比につながっていくだろうと考えた。

2 「生←→死」か「死←→生」か

(1) 「生と死」はどちらに入るか。

 生・死の位置が問題になる。(「生と死」が対比として子どもから出てこない場合は,教師が提示すればよい)

発問1:

「生」「死」はAかBどちらなのだろうか。

 板書は次のようになっている。

  恐ろしさ← →静けさ
 さわがしい← →静か
    恐怖← →平和
    恐怖← →安心
    恐怖← →喜び
   水の中← →水の外
 さわがしい← →落ち着き
  かわせみ← →やまなし
     朝← →夜
     春← →冬
  幼いかに← →成長したかに

  A  死← →生
  B  生← →死

 生死はどちら(例えば恐怖か平和か)に属するのかを討論することによって、『やまなし』の曖昧さ、二重性に気づくのではないか。
 かにはやまなしを食べて生の喜びを見いだしている。
 食べることはかわせみも同様。生の喜びではないか。
 そのような討論が主題を考えることにもつながるだろうと考えた。

指示5:

ノートに考えを書きなさい。

 全員の問題として、ノートに自分の考えを書かせる。

指示6:

討論しなさい。

 そして自由に討論をする。
 まとめると次のようなことである。

○B「生←→死」である。
①冬は冬眠する。すべてのものは死に近づく。
②すべて生物は子孫を生んで死ぬ。春に産まれ、冬には死んでいくことを表しているから。
③物語と自然の関係:自然は5月に「生」であり、12月に「死」といった方がいい。
④五月に生物は産まれることが多い。そして、冬の十二月には冬眠したり死 んでしまったりすることが多いから。

○B「生←→死」への反論
 この物語では、春(五月)の場面でおそろしい死の体験をしている。そして冬(十二月)でうれしい生の体験をしている。
 Bの考えでは、「自然」の中の生と死の移り変わりだが、この物語は「かにの兄弟」が中心になっているのだから。

○A「死←→生」である。
①春、かわせみが魚を殺す。自然と物語の関係は関係なし。
②冬、かにがやまなしを食べる。生である。
③クラムボンが死ぬ。
④冬は、すべてが活動の少なくなる季節であるが、生を蓄えている時期でもある。
⑤恐怖の方に死があり、平和の方に生がある方が自然である。
⑥かわせみが魚をとる。かには、5月で死のおそろしさを知る。そして、十二月ではやまなしが落ちて食べる。食べることは生きていく中の一つである。その食べるという「生きる喜び」を知った。

○A「死←→生」への反論
 この物語は、他の物語より、「自然」というものを多く取り入れている。ゆえに春「五月」は「生」で冬「十二月」は「死」になる。(生物による生と死と同じ)
 
 討論は、まずBの発表がありAの方が優位になって進んでいった。
 特に、⑥の意見と、この物語は「かに」の兄弟の視点で書かれているから、かににとっての考えを支持しなければという意見に多くの子が納得した。

<子どものノートから(抜粋)>

○わたしは、AもBもまちがっていないと考えるがAだと思う。
 それは、この物語で考えた方がいいと思うからだ。この物語は、かにを中心にしている。そのかにから見ると、五月のかわせみが魚を捕っていったことは恐怖だし、魚が殺されてしまったのだから「死」にあたる。それに対して十二月は、やまなしが落ちてきて、かにたちは、それを食べようとしている。その物を食べるから、生きる喜びを知り「生」に当たる。
 でも、物語も本当のことをくっつけて考えると、本当のことなら、春は命が誕生し、冬は命がなくなっていくから「生・死」となり、この物語で考えると、春では、かわせみが魚を捕って食べてしまい、冬は、やまなしによって、自分たち(かにたち)が生きて行くから「死・生」に
なる。
 そのことを考えると、はじめのように、どっちがまちがっているとは言えないと思う。

○私はAになると思います。なぜかというと、やはりこの物語は、かにの兄弟が主人公でもあるし、話者の目がかにの兄弟たちの近くや中から見ているからです。だから、かにの兄弟の体験の「生」と「死」からAになると思う。

3 それぞれの死の相違

(1) 五月の死と十二月の死は同じか。違うか。

 討論のまとめとして次の発問をした。

発問2:

かわせみが魚を食べること。かにがやまなしを食べることは同じことか、違うことか。

 これには、全員が「違う」と反応した。

 やまなしが魚を食べることは、思いがけずに来るということだ。死は思いがけずやってくるのが魚の方だ。しかし、やまなしは予期してやってくるもの。1年間の流れの中で予期できるものだ。
 かわせみが魚を食べるということは、生きているものの命を取っているということだ。しかし、かにがやまなしを食べるということは、死んだやまなしが落ちてきたのでその熟したやまなしを死んだやまなしを食べるということだ。
 かににとって魚がかわせみに食べられたことは恐怖だが、やまなしの死はかににとってうれしいことだ。
 魚は食べられてしまったら何も残らないが、やまなしは、食べられても種が残る。
 魚は、食べられるために生きていないが、やまなしは、食べられるために生きている。
 かわせみが、魚を食べることと、かにが、やまなしを食べることの違いは弱肉強食、と自己犠牲の違いだ。
 まず、かにの兄弟が中心になっていて、話者の目もかにの中や近くにいるのだから、かにの兄弟の気持ちになって考える。
 すると、かわせみが魚を食べることはかにの兄弟の気持ちになると・・・・・・と考えてみる。
 やはり、「恐怖」である。そしてかにがやまなしを食べることはかにの兄弟にとってはとてもいいこと、「喜び」である。
 そういうことから、考えて、かわせみが魚を食べることは恐怖、かにがやまなしを食べることは、喜びとなる。だからこの二つの意味は違う。
 かわせみが魚を食べることは、弱肉強食であるが、やまなしはそうではなく自分で命をさし出している。

4 まとめ

(1) 弱肉強食の反対語は

 まとめとして、「弱肉強食」の反対語になる言葉を再確認する。

発問3:

「弱肉強食」の反対の「自分で命を差し出すこと」を何というでしょうか。

○犠牲

発問4:

それを四字熟語にしてみると何となりますか。(自分が犠牲になるのだから。)

(2)子どものノート

〈子どものノートから(抜粋)〉
○かにの兄弟は、かわせみが魚を食べたときは「こわいよお父さん」と言っているので、「恐怖」である。しかし、やまなしを食べるときは、「おいしそうだね。お父さん」と言っている。ということは、かわせみが魚を食べることは「恐怖」、かにがやまなしを食べることは「喜び」となるので二つの意味は違う。

○かわせみが魚を食べるということは、弱肉強食ということで、「恐怖」「悲しみ」である。しかし、かにがやまなしを食べることは、自己犠牲でかにたちにとっては「喜び」である。だから二つの意味は違う。

○かわせみは生きている魚を食べてしまう。だから、「恐ろしい」という意味になる。ところがかにがやまなしを食べることは違う。なぜならやまなしは食べてしまっても種が残るだろうし、かにたちは熟(死)してから落ちてきたものを食べているからだ。

◇この実践では、五月の「黄金のあみ」がという記述をどう理解するかが欠けていると考える。次の色の対比の授業で扱うことができるだろう。


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