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TOSSランドNo: 4332458 更新:2013年07月30日

沖縄戦終結の日 6月23日


1 硫黄島と沖縄

説明1:

 日米両軍激戦の地となった日本の領土が二カ所あります。
 一つは硫黄島(いおうとう)。指揮を執っていたのは、栗林中将。千人弱の全島民を避難させていていました。無くなった約2万人の人々はみな軍人でした。
 硫黄島を米軍が占領したあと、次に向かったのは沖縄でした。国内最大規模で戦いが行われたところです。昭和20年3月26日からはじまり、6月23日で終わったとされています。
 沖縄は、疎開はさせていたのですが、途中であきらめました。そのため、多くの一般の人々が戦闘に巻き込まれ、多くの人々が亡くなりました。
 この沖縄戦に参加した軍人の一人に大田実海軍少将がいます。
 昭和20年1月、第4護衛隊兼沖縄特別根拠地隊司令官となり1万人の部隊を率いて沖縄本島小禄(おろく)半島での陸戦を指揮しました。

2 大田海軍少尉の打電 

説明2:

 その大田少将が万感の思いで東京の海軍次官宛てに打電した、遺言ともとれる長文を紹介します。
 海軍沖縄特別根拠地隊司令官
 大田実少将 海軍次官宛電文
 昭和20年6月6日付け
「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを!」
 沖縄県民の実情に関して、報告は本来県知事より報告すべき事だが、県には既に通信力はなく、第三十二軍指令部も通信余力がない。
 県知事の依頼を受けたわけではないが、沖縄の現状を見過ごすに忍びないので、私大田司令官が知事に代わってご緊急に報告する。
 敵が沖縄に攻撃開始以来、陸海軍とも防衛戦闘に精一杯で、県民を顧みる余裕は殆どなかった。
 しかし、私の知る限り県民は青壮年の全てを防衛召集に捧げた。
 残りの老幼婦女子は、相次ぐ砲爆撃で家屋と全財産を焼き出され、軍の作戦の邪魔にならない小防空壕に避難、しかも爆撃、風雨に晒される窮乏生活にあまんじた。
 しかも若い婦人は率先して軍に協力し、看護婦、炊事婦はもとより、砲弾運び、斬り込み隊を申し出る者すらあった。
 所詮、敵が来たら老人子供は殺され、婦女子は拉致され毒牙にかかってしまうと、親子生き別れになり娘を軍営門に捨てる親もいる。
 看護婦に至っては、軍移動に際し、衛生兵は既に出発した後なのに、身寄りのない重傷者を助けて、その行動は真面目で一時の感情で動いているとは思われない。
 更に軍の作戦大転換があり遠隔の住民地区が指定されると、輸送力がないのにもかかわらず、夜間、雨の中を自給自足しながら移動するものもいた。
 要するに、陸海軍が沖縄に進駐して以来、県民は終始一貫して物資節約を強要され、ご奉公の心を抱き、遂に勝利する事無く、戦闘 末期には沖縄島は形状が変わるほど砲撃され草木の一本に至るまで焦土と化した。
 食料は六月一杯を支えるだけしかないという。
 沖縄県民はこのように戦った。
 沖縄県民に対して後世になっても特別の配慮をお願いする。

 打電を終え、大田実海軍少将はその一週間後、壕内にて自決しました。 享年54歳。


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