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TOSSランドNo: 5050824 更新:2013年07月03日

日本の神話


1 神話の価値

神話・伝承の扱いについて、『学習指導要領社会第6学年』にこう書かれている。

内容  ア 狩猟・採集や農耕の生活,古墳について調べ,大和朝廷による国土の統一の様子が分かること。その際,神話・伝承を調べ,国の形成に関する考え方などに関心をもつこと。
内容の取り扱い ウ アの「神話・伝承」については,古事記,日本書紀,風土記などの中から適切なものを取り上げること。

 日本の古代史を学ぶ上で、記紀(=古事記・日本書紀)風土記を扱いなさいと書かれている。いずれも、奈良時代に完成したわが国最古の書物である。古事記は、天地開闢以来、推古天皇の時代に至るまでを、日本民族の伝承に基づいて書かれている。すなわち、神話・伝説である。
 太古には、語り部という人がいて、物語を暗唱して語り伝えることを仕事にしていた。第40代天武天皇は、諸家に伝わる伝承・物語を整理し、稗田阿礼に記憶させた。聡明な阿礼とて寿命に限りがある。第43代元明天皇は太安万呂に命じて稗田阿礼の暗唱するところを文字に記録させた。これが『古事記』である。祖先から受け継いできた古語(ふるごと)を手を加えないようにして、そのままの形で記されたものである。古事記とは別に、わが国の歴史を集大成するために、口伝のたりないところを補い、年月を加え、国の公的な歴史書として舎人親王が精魂込めて表したのが『日本書紀』である。対外的に外国の人にも読ませることを意識して作られた。第四十四代元正天皇の御世である。また、元明天皇によって、713年『風土記』の編集が命じられ、各地の歴史地理が書かれた。
 日本神話でよく知られているものは、天の岩戸、ヤマタノオロチ、大国主命、海彦・山彦、神武建国、倭建命、等である。神話の作者は、一人の人間ではない。その民族が古い時代に、創作した物語を後世に伝えてきたものである。ギリシャ民族にはギリシャ神話、ユダヤにはユダヤ神話、漢民族には漢民族の神話がある。どの民族の神話にもよく似た共通点を持ちながら、各民族の個性があり、民族の特徴を現している。
 戦後、こういった書物は事実に反するとして削除された。歴史上の真実の古伝や記録ではないとされた。物的な証拠がなければ採用できないとされた。事実かどうか、この見方からすればその通りである。宇宙の始まりを人が見ていたのであろうか。ヤマタノオロチという大蛇が毎年現れて娘を食べたのであろうか。本当に天上から神様が降りてこられたのであろうか。神武建国は2月11日で間違いないのか。科学的に証明されうるものではない。同様に、クリスマスはどうか。イエスキリストの誕生日が12月25日ではないことは証明されている。聖書に記されたキリストの系図を科学的に保証は出来ないであろう。釈迦様の誕生日はどうか。文字のない時代の言い伝えである。古い出来事はずれがあったりあいまいであったりする。
 では、まったく価値が無いのであろうか。1200年以上前に作られ、今もなお読み続けれている神話を簡単に捨ててしまっていいのであろうか。神話は、そこに述べられていることを全てを史実として扱うのではない。日本書紀では、神武天皇までを「神代記」として歴史と区別している。事実かどうか不明な点もあること、一書に曰くといろんな説を並べることにより、客観性をもとめている。どの民族でも、神話から歴史への移行期は霧に包まれた時代であり、徐々に歴史が見えてくるのである。
 では、記紀を扱う理由はどこにあるのか。樋口清之氏は次のように述べている。

 神話や伝説は、古代の人々が「かくありたい」と願った憧れや民族的記憶の投影であり、古代人の歴史体験の反映である。 「逆・日本史4P29」

 次に、皇后陛下の御講演より抜粋する。

 一国の神話や伝説は、正確な史実ではないかもしれませんが,不思議とその民族を象徴します。これに民話の世界を加えると、それぞれの国や地域の人々が、どのような自然観や生死観を持っていたか、何を尊び、何を恐れたか、どのような想像力をもっていたか等が、うっすらとですが感じられます。
  (皇后陛下の第26回IBBYニューデリー大会(1998年)基調講演より抜粋)

 神話は書かれている通りの歴史があったのではない。古代の日本民族が作った創作物語である。古代日本民族の考え方や特徴が神様物語として描かれているのである。神話にはその民族の性格が現れる。創作であるから、本音が事実の記録以上に現れる。
 この点に関して樋口清之氏は次のように述べている。

 歴史を「過去の記憶が現在に大きな影響を与え、それによって未来が決定される法則や仕組みを明らかにする学問」、つまり、歴史を生きた学問と捉えるなら、事実かどうかに関わらず、過去の日本人がその「神話」や「伝説」に基づいて、現実にいかに対応したかの事実の方がはるかに大切になってくる。 「逆・日本史4P123」

 クリスマスになると、サンタクロースはいないと知りながら靴下を用意する子供のように、日本民族がかくありたいという憧れが神話を創造した。神話は実際の歴史ではないから、歴史とは別に切り離して考えなければならない。しかし、その物語に表現されている内容は、太古の日本人が持っていたところの精神の現われ・象徴である。ここに神話・伝承を扱う価値がある。

2、世界の神話

 古い民族は神話を持っている。新しい民族は、ある文化圏の影響で共通の神話を持つようになる。
 具体的には、日本や中国、インドには、国ごとの神話がある。それに対し、ヨーロッパやアメリカは、共通のユダヤ神話(旧約聖書の創世記など)ギリシャ神話を持っている。
 しかし、これ以前にもヨーロッパにはスラブ神話やゲルマン神話など各地の神話があった。
 だが、今では先の神話の影響が大きく、これらは残っていない。消えた神話がある。
 ドイツ歌手ゲルハルト=ヒッシュ氏が伊勢神宮を参拝したとき、次のように語ったという。

「われわれの民族(近藤〈註〉ゲルマン民族)もまた、昔はこのようななつかしいものを持っていました。だが、それは、キリスト教の普及によってうしなわれてしまひました。」
                                                       (昭和47年神社本庁発行「神国の理想」より)

3 日本神話の概略

 古事記は、次の書き出しで始まる。

 天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神、此の三柱の神は、並獨神成り坐して、身を隠したまいき。

 高天原の神様を天つ神という。地上の神様を国つ神という。、天つ神による「国生み」、国つ神による「国作り」、国つ神から天つ神へ「国譲り」、そして、天つ神の子孫による「建国」という展開になる。
 宇宙の初め、高天原に天之御中主神が鳴り響いていた。その天之御中主神より誕生した神々の中に、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と妻神である伊邪那美命(いざなみのみこと)がいた。二人は、「天の浮橋」の上に立った。伊邪那岐命は下に広がる海を見渡して、槍を下ろした。その槍を引き上げると、その先からしずくが落ちて固まり島になった。
 伊邪那岐命は多くの神々を生んだ。その中の一人に、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、須佐之男命などがいる。
 須佐之男命は乱暴を働き、追い出され、地上の国作りに精を出した。そのあとを大国主命が引き継ぐ。しかし、大国主命と高天原の神の話し合いによって、この国は、天照大御神の子孫が中心となって治めることになった。国譲りである。
 そして、孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)が、勾玉、鏡、剣を持って九州に下りた。この3つの宝物は、現在も天皇の位の象徴となっている。邇邇芸命の孫に当たる神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれひこのみこと)が大和の橿原で第一代天皇の位に就く。
 これが神武天皇である。                   (アメリカ 社会科教科書<中等教育用>1978年発行を参照に一部補った)
 古事記は、天地開闢から、神武天皇以前を神代として「上つ巻」に、神武天皇から応神天皇までを「中つ巻き」に、仁徳天皇から推古天皇までを「下つ巻」に収められている。

4 日本神話の特徴

(1)日本神話には、国生み(国土を生む)神話がある

 世界の神話の中でも、「国生み」が盛り込まれているのは日本だけである。二柱の神が大八島をうむ「国生み」である。
 伊邪那岐命は、天沼矛をさしおろしてかき回し、矛を引き上げると、その先から滴る塩が固まってオノゴロ島が出来た。そして、妻神である伊邪那美命と一緒に降りていき、そこで力をあわせて八つの島、日本の国土を生む。日本を別名、大八島国という。
 さて、オノゴロ島はどこかということである。オノゴロ島が出来た後で、八つの島が生まれている。だから、日本のどこかの島ではない。佐脇嘉久氏はその著書「やさしく書いた日本の神話」の中で次のように述べている。
「オノゴロ島は、自転島(おのころじま)で、自分で回転する島、自然に回転する島をあらわし、地球を指していると考えることができます。」
出雲井晶氏も「教科書が教えない日本の神話」の中で次の表現を使っている。
「塩水がこり固まってできた島、ことことと転がる島だから、おのごろ島と名づけましょう」
「国生み」が終わると、海の神、川の神、山の神、野の神、木の神、草の神など、30以上の神々を生む。伊邪那美命は最後に火の神を生み、火傷を負って黄泉の国(死の国)へ行ってしまう。

古代日本民族は、神話の中に国の形成を見出してきたのである。

 そして、神話がそのまま歴史に入り込んで今日に及んでいるのが日本神話の特徴である。
 日本の神のもっと尊いとされているのが天照大御神である。伊邪那岐命から生まれた。
 高天原を治めていたのであるが、天の岩戸にお隠れになった。すると、太陽の神である天照大御神であるから、世の中が真っ暗になり、悪いことが次々と起こった。そこで、神様たちは集まって相談をする。どうやって、天照大御神に外へ出てきてもらおうかと。一人の神様が素晴らしい声で祝詞をあげ、朗らかに笑って躍りましょうと決まった。古事記には「八百萬の神々共に咲ひき」とある。
「笑う」は「咲ふ」という字を当てはめている。
 すると、天の岩戸からお出ましになり、明るい世界が戻った。
 笑いにも、いろいろある。
 「あ」の笑いアハハハハ、
 「い」の笑いイヒヒヒヒヒ、
 「う」の笑い ウフフフフ、
 「え」の笑い、エヘヘヘヘヘ、
 「お」のお笑いオホホホホ。
 「咲ふ」は、花が咲くときのように、命が自然に溢れ出るような朗らかな笑いである。「笑う門には福来る」である。

(2)万物全て神様のいのちと捉えた日本民族

 二十数年前、「日本人の脳」が話題になった。
 「秋に虫の音を意識して聞くというのは、そうしてみると日本人だけの持つ風流さなのですね。」   
                              (角田忠信著「日本人の脳」大修館書店16ページより)
 日本の神話には、人間創造の物語がない。神代がそのまま人の世になる。人だけではない。草も木も山も川も、魚も鳥もすべて神から生まれる。形あるもの形なきもの全て神様のいのちの展開であるという神話を創作した。神様と人とは、親、子、孫の関係である。
 人と自然は、同じ神から生まれた兄弟姉妹の関係となる。日本は、美しい自然に囲まれ、温暖な気候・風土は、自然の恵であった。生活の中に自然を取り入れ、生きとし生けるものみな同じいのちと感じていた。人と自然の深い結びつきがある。
 日本語に『もったいない』がある。『もったいない』は『勿体無い』『物体で無い』。
 それはただの物体ではなくて神様のいのちの展開なのだという意識が神話の中に秘められている。
 ユダヤ神話の人間創造はどうか。第1が、旧約聖書「創世記」第1章『神がその像の如くに人を作った。』であり、第2が、第2章『エホバの神、土の塵を以って人を造り、生気(命の息)を其の鼻に嘘入たまえり。人、即ち生霊(いけるもの)となりぬ』とある。神と人間の関係は、創ったものと創られたもの、つまり、人間は被造物である。次に、人と自然の関係を見ると、『これ(人間)に、海の魚と、天空の鳥と、家畜と、全地と、地に葡(は)う所の諸(すべて)の昆虫(はふもの)を治めん』、即ち自然・動物の支配者と定められている。
 発祥の背景となった中近東は、厳しい自然に囲まれ、過酷な自然の中で人々は暮らしてきたのである。神話は、それが生まれる土壌と非常に関係が深い。

(3)国譲りは「奉還」である

 国つ神を代表する大国主命より、天つ神に出雲の国を譲り渡した。が、その前に、伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱の神の「国生み」があり、須佐之男命の「国作り」とその後を引き継いで大国主命の第2の「国作り」がある。その上に立ってこの「国譲り」である。
 大国主命は、別名『大黒様』。「大きな袋をかたにかけ 大黒様が来かかると ここに因幡の白兎、皮をむかれて赤裸」の歌で有名である。
 「国譲り」の際、高天原から3回使者が出され、合計11年かけて交渉に当たった。3回目は、剣のような勇敢さと岩のような冷静さを備えたタケミカズチノ神とアメノトリフネノ神だった。
「われわれは、天照大御神の命(めい)を受けて高天原の使いとしてやってきた。葦原の中津国はまだまだ未開のところも多い。しかし大国主命の治める出雲の国は土地も整理され人々も安住している。全てが調和した高天原の世界をこの世にも現すため、大神の御子
がこの国の中心者として治めることに賛成してもらえないだろうか。」
 話し合いでまとまらず、最後は武勇で感服させ、交渉を成立させた。
 大国主命は、国譲りに際し、条件を出した。
「芦原の中津国は全て、天の神の御子に奉ります。ただ、私や子孫の住む壮大な社を建てて祭ってください。私は遠い国から、この葦原の中津国を見守り協力しましょう。」
 高御産巣日神は、言葉を返す。
「あなたは、長い間努力して地上の開拓と平定に貢献した。しかもその国を自分のものとせず、大神に捧げるとのこと。一層立派な国になることでしょう。望み通り、大社は造りましょう。」
 国譲りが成就し、出雲の多芸志の丘に神殿を建て、大国主命をお祭りした。出雲大社の始まりである。1190年、寂連法師は「この世の事とも覚えざりける」と驚嘆した出雲大社本殿である。平成12年4月、境内で3本の柱を直径3.6メートルの鉄輪で締めた心御柱が発掘された。考古学上の大発見であった。「高さ48メートルの本殿」の真実味を帯びてきた。
 出雲など諸国の国々が天照大御神に服属を誓うのは、大和朝廷の全国平定を象徴しているとも受け取れる。
 さて、影山正治は著書「神話に學ぶ」で次のように述べている。

 「奉る」の一番深いところは、「もとは自分のものでない、たまたま自分が預かっているにすぎない天つ神のものを、天つ神の指示によって天つ神にお返しするのだ」という「奉還」の意味が強く内在しているのです。

 大国主命は、国づくりに精を出す。立派な安定した国を作る。その国を伊邪那岐命に奉った。しかし、奉った国土といい、そこに生じた山、川、木、草、あらゆるものは伊邪那岐命・伊邪那美命の「国生み」によって生み出されたのである。よって、ここに国土を自分のものにしない、たとえ苦心して汗水流して開拓したものであっても、という考えがある。
 大国主命自身どうか。高天原の神々のことを天津神と呼び、地上の神々のことを国津神と呼ぶ。大国主命は国津神である。大国主命は須佐之男命の子である。その須佐之男命は伊邪那岐命の鼻から生まれた。大国主命→須佐之男命→伊邪那岐命とさかのぼる。大国主命は、国津神であって,元をたどると天津神なのである。だから奉還が成立する。徳川幕府の「大政奉還」と結びつく。

(4)限りある地上の寿命

 人間は地上での寿命に限りがあることを象徴する物語がある。邇邇芸命と木花之佐久夜姫(=大地の神大山津見神の娘)との結婚のいきさつである。天から下ってきた邇邇芸命は、岬で乙女を見て結婚を申し込む。父、大山津見神は、大変喜んで、贈り物と一緒に姉
の石長姫も嫁入りさせた。石長姫(いわながひめ)はその名の通り、がっしりと丈夫そうだが、顔立ちは醜い。邇邇芸命は、石長姫を送り返した。
 そこで、大山津見神は言った。
「二人の娘を差し上げたのには訳があります。石長姫を送ったのは、天つ神の御子の命は雪や風にあっても岩の如く永遠に、また、木花之佐久夜姫は木の花の栄えるが如く栄えるようにと。しかし、石長姫を返したからには、天つ神の御寿命は限りあるものになります。
花は咲きほこってもいつかは散っていくように」

(5)天孫降臨に伴う三種の神器

国譲りの交渉がまとまり、いよいよ、邇邇芸命が葦原の中津国に降りてくる。天孫降臨である。天の岩戸開きの功労者、五柱の神が一緒にお供した。
天児屋命(岩戸の前で祝詞を詠んだ)
フトタマノ命(鏡を岩戸の前に差し出した)
アメノウズメノ命(樽の上で陽気に踊った)
イシコリドメノ命(鏡を作った)
タマノヤノ命(勾玉を集めてつなぎ合わせた玉飾りを作った)
天照大御神は、孫にあたる邇邇芸命に次のような言葉を下す。

 この豊葦原の瑞穂の国は、私の子孫が中心となって治める国です。私の孫であるあなたが行ってまず治めなさい。そうすれば天地とともに永遠に続いていくことでしょう。
                                                                         (日本書紀ニ 意訳)

 そして、3つの宝物(勾玉、鏡、剣)をさづける。これは三種の神器と言って、神武天皇から今上陛下まで125代(記紀による)、天皇の位につかれる時受け継がれる宝である。
 みすまるの玉とは一つに連なった魂であり、地球上の全ての人びとが一つのいのちでむすばれていることを表す。
 八咫鏡(やたのかがみ)は、最も大切な宝物とされている。
 天照大御神は言う。

 この鏡を見ること、まさに吾を見るが如くにしなさい。同じ御殿に置いて、私と一緒に生活するつもりで、私の気持ちを十分汲み取って国を治めるようにしなさい。                                                        (日本書紀ニ 意訳)

 御鏡は天照大御神の御神体である。神社の祭殿には、鏡が置かれている。
 天の叢雲の剣は、須佐之男命が八俣大蛇を退治したとき、尻尾の先から出てきた剣である。あまりにも立派な剣なので、天照大御神に献上した。こんな伝説がある。後に、倭建命が賊に囲まれいのちを落としそうになったとき、剣が草を切り払い火を防ぎ、命を助けた。そのときから、剣は草薙剣と呼ばれるようになり、其の場所は、焼津と名づけられた。
 話は下るが、藤原氏は天孫降臨に随伴した天児屋命を祖先の神とする。藤原氏は平安時代に隆盛を極める。藤原氏は、天皇を補佐し仕える役割を果たした。神話の中では、祖先神である天児屋命は、天の岩戸開きのとき、前で祝詞をあげ、また、天孫降臨のときには、邇邇芸命に付き添って降りてきた。
 さらに、神武天皇に従って日本の建国に参加している。
 神話の時代にその原型があったのである。

(6)日本の黎明期 「建国神話から国の統一」

 一つの国を起こし(これを建国という)、人々の暮らしを安定させ、それを長い年月にわたって積み重ねていくことは、いかに困難で苦労の多い大業であるかは、どの国も例外ではない。
日本書紀によると、神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)が橿原宮で第1代の天皇に即位されたのは、

 辛酉年(かのととりのとし)の春正月(むつき)の庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち)に、天皇、橿原宮に即帝(あまつひつぎ)位(しろしめ)す。是歳(ことし)を天皇の元年とす。
(日本書紀三)

とある。
 この日を当時の太陰暦を太陽暦に換算して1月29日、さらにそれを改めて2月11日とし、今は「建国記念の日」という国民の祝日に定められている。
 即位までの経緯をたどってみる。
 神倭伊波禮毘古命は九州の日向に暮らしていた。
 塩椎神(しおつちのかみ)が命に話す。
 「東の方に、四方を青い山に囲まれた美しいところがあります。そこは国の中心としてふさわしく、都を造って治めるとよいでしょう。」
 そうして、命は大和の国を目指し、船出をする。九州の日向を出て、宇佐(大分)から岡田の宮(福岡)で1年、阿岐の国(広島)で7年、 吉備の国(岡山)で8年滞在しながら東へと進んでいく。
 一箇所に長くとどまっていることについて、山口悌治著「万葉の世界と精神」の中で、次のような説明をしている。
「神武天皇がこのように留まるのは、ちょうど野山を駆け回り獣や鳥を捕まえて暮らしていた時代から、稲作の時代に変わろうとしていた時期であり、米つくりの方法を教えながら生活が安定するまで見届けていた。」
 これに関連して、天照大御神は、天孫降臨のとき、天児屋命と太玉命に次の言葉を伝えている。

 私が新穀をもって天つ神を祭り、ともに食べるために作った<斎庭(ゆにわ)の稲穂>を授けるので、これを地上の国で栽培・収穫し、其の穀物を持って天津神を祭りともに食事をするように。                                     (日本書紀ニ 意訳)

 この稲穂は国津神にも分け与えられ、広く栽培され、祭りにも使われ、日本民族の生活を豊かにしていったのである。米つくりを生業としなさい、そうすれば豊かに栄えますよということである。日本を「豊葦原の瑞穂の国」と呼ぶ所以である。
 福田和也氏は言う。

 日本人の米の作り方のきわめて特徴的なことは、集団の調和と集団全体の繁栄を第一にすることですね。米は灌漑をはじめとして、多くの力を結集しなければ作れない作物です。その結集された尽力が、わが国では、生産単位から経済単位、そして政治単位にまで発展して来ました(中略)この米共同体的な性格を持つ日本企業が、いかに数々のすぐれた製品を作り、世界市場を席巻したかは、いまさら申すまでもないでしょう。                                     「続 なぜ日本人はかくも幼稚になったか」

 歴代天皇が行う祭りの中で最も重要なのが、大嘗祭(だいじょうさい)である。
天皇が位につかれたその年の新穀による祭である。また、天皇陛下は自ら田植えをされ、皇后陛下は繭を紡がれる。大切なお仕事である。この伝統は神話の時代から今日まで途切れることなく続いている。
 大和の橿原までの道のりは、険しかった。思うよう事が運ばない。あと少しで大和につくというところで、神倭伊波禮毘古命の兄五瀬命は、長髄彦の毒矢に倒れ命を落とす。戦争や殺戮が展開される。
 上つ巻でも争いごとはあったが、平和的に吸収されるのとは一転する。
 神武天皇が橿原宮で即位されるとき、次の言葉を述べられた。

 私は、日向から東に向かい橿原についた。無事、大業をなしえたのも天津神の守りあればこそである。みんなお互いに豊かな心を養い、幸せに暮らすよう努めましょう。そうして、四方の国々全てが一つの家族のようにしよう。畝傍山のふもと橿原の地を国の中心として都を定めよう。 「六合を兼ねて都を開き、八紘をおおいて宇と為さむ」                          (日本書紀三 意訳)

 これが日本の建国宣言に当たるものである。会社で言えば創業精神である。そして、神武天皇が位につかれた年を日本が国として形を現し出発したときとして、紀元元年と定められた。それから数えて今年(平成15年)は紀元2663年ということになる。これは日本の暦であるが、世界の民族はそれぞれに暦を持つ。例えば、ユダヤ教暦では5763年、仏教暦では2547年、キリスト教暦(西暦)では2003年である。いずれも科学的に証明されたものではない。そう伝えられているのである。
 日本紀元2600年の記念行事として、橿原神宮の外苑工事が行われた。グラウンドを作るため、一帯を掘りかえした。そこから、カシの巨木が発見され、縄文土器や石器が多数発見された。橿原の地は文字通りカシの木が一帯におおい茂っていて、縄文文化が栄えていた姿が浮かび上がってきた。カシの年数測定の結果、およそ2600年前のものであり、誤差は±200年であったという。
 日本建国の神話は歴史時代にそのまま入り込む。神話と歴史が切れていない。
 このことについて渡部昇一氏は「歴史の読み方P51」の中で次のように述べている。
「何度も述べるが、神話と歴史が切れた国というのは、いずれも先住民族が決定的に異民族の征服を受けた国であるということを忘れてはならない。」
「多くの建国神話を持った民族が、後に異民族に取って代られているので、神話が単なる神話になってしまう」
 現在も残る王家で、神話と結びついているのは、日本の皇室のみである。日本は、建国以来、他民族の圧倒的な支配または征服を受けていない。
 こうして国の基礎が固まるのだが、全国平定にはなお年月を要し、さまざまな物語が生まれた。その中のひとつに、倭建命の物語がある。倭建命は第12代景行天皇の第三の皇子である。皇子は、たくさんの伝承が残っている古代日本の英雄である。が、その生涯は決して平穏ではない。父景行天皇の命で、九州や東北地方に遠征に出かける。次々と休む間もなく命令する天皇に対し
「父は私に死ねばよいと思っていらっしゃるのか。」
と嘆く。
 最後の遠征の帰り、体は疲れ果て、病気になり、三重の野煩野で亡くなる。命のお墓より、大きな白鳥が舞上がり天に昇っていく。白鳥が降り立ったところは御陵となり、現在も残っている。

参考・引用文献

古事記(上) 講談社学術文庫 次田真幸
古事記(中) 講談社学術文庫 次田真幸
古事記(下) 講談社学術文庫 次田真幸
物語日本史(上) 講談社学術文庫 平泉登
物語日本史(中) 講談社学術文庫 平泉登
物語日本史(下) 講談社学術文庫 平泉登
日本書紀(一) 岩波文庫 坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋
法則化社会ネットワーク No.11
法則化社会ネットワーク No.14
社会科「近未来教育」を提案する 明治図書 吉田高志
日本史から見た日本人 産業能率大学出版部 渡部昇一
歴史の読み方 祥伝社 渡部昇一 
古事記と現代の予言 日本教文社 谷口雅春
大和の国日本  日本教文社  谷口雅春
美しき日本の再建 日本教文社  谷口雅春
天皇の起源 夏目書房 林房雄
古事記物語  新教育者連盟
「日本の神話」に生かされて  日本教文社 出雲井晶
教科書が教えない日本の神話 産経新聞社 出雲井晶
神武天皇 産経新聞社 出雲井晶
神武天皇 全日本家庭教育研究会 保田與重郎
神武天皇 橿原神宮庁 
親子で読める天皇日本史 日本教文社 杉田幸三
やさしく書いた日本の神話 日本教文社 佐脇嘉久
国と人のロマンを語ろう 日本教文社 佐脇嘉久
神話に學ぶ 大東塾出版部 影山正治
神道<いのち>を伝える 春秋社 葉室頼昭
逆・日本史4 祥伝社 樋口清之
日本語と日本人の発想 日本教文社 筧 泰彦
聖書物語  ポプラ社 谷真介
新しい歴史教科書 扶桑社
国民の歴史 産経新聞社 西尾幹ニ
国民の教育 産経新聞社 渡部昇一
国民の芸術 産経新聞社 田中英道
世界に生きる日本の心 展転社 名越二荒之助
週刊日本の古典を見る3 古事記一 世界文化社
週刊日本の古典を見る4 古事記ニ 世界文化社
神社紀行 出雲大社  学習研究社
生命の教育平成14年2月号 新教育者連盟
日本人であるということ  角川春樹事務所 福田和也
続 なぜ日本人はかくも幼稚になったか 角川春樹事務所 福田和也


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