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TOSSランドNo: 7069217 更新:2013年01月24日

教育歳時記~8月~


8月上旬

8月1日~水の日~

石油のたくさんでる、あるアラブの国の王様が日本に来たとき、雨がポツリポツリと降りだしてきたのを見て、うらやましそうに、「わが国には石油があるが、水がない。」とつぶやいたそうです。水の豊かな、水のおいしい日本でも、暑い夏になると、貯水池の水がなくなってしまうのではないかと、心配になります。
貯水池の水がなくなると、断水ということもあります。水を大事にしましょう。家庭では、洗濯、風呂、炊事、トイレなどでどうしてもたくさんの水を使います。飲み水として使う量は、全体の2%ほどです。どういうところで節約すればよいか、考えてみましょう。

8月2日~ロゼッタストーンの発見~

1799年8月、ナポレオン軍がエジプトを攻めた時のことです。8月2日に、1人の兵士がナイル川の河口ロゼッタという所で、高さ約1メートルの石の板を発見しました。この石は、三段に区切られていて、絵文字らしいものがぎっしりきざまれていました。一番下の段はギリシア文字だと分かりました。しかし上の二段は誰も読めませんでした。ところが1822年になって、フランスのシャンポリオンという語学の天才が、この謎の文字を読みとることに成功しました。ギリシア文字で書いてあったプトレマイオス、クレオパトラなどの人名から、読めない文字を読む糸口をつかんだと言われています。こうして、大昔のエジプトの文字が読めるようになりました。そして、謎に包まれていたエジプトの歴史がどんどん分かっていったのです。
この石をロゼッタストーンと呼び、現在イギリスの大英博物館におさめられています。

8月3日~食品衛生週間始まる~

今週は「食品衛生週間」です。夏に多い、食中毒の予防を呼びかける週間なのです。食中毒は、全国で一年間におよそ1300件発生し、患者の数は約三万人にもなるそうです。保健所に届け出ない家庭での食中毒も含めると、この数字はもっともっと多くなるでしょう。食中毒にかかると、熱がでたり、食べ物を吐いたり、下痢や腹痛になったりします。夏の間、魚や貝を食べるときは、生のまま食べないようにして、必ず火を通して、調理した物を食べることが大切です。もし、細菌がついていても、火を通せば、死んでしまうからです。夏の食中毒には十分注意しましょう。

8月4日~童話の王様、アンデルセン亡くなる~

童話の王様アンデルセンは、1805年デンマークのオーデンセのくつ屋さんに生まれました。家は貧しかったのですが、優しいお父さんやお母さんに大事に育てられました。お父さんは夜になるといつも、いろいろな本を読んでくれました。15歳の時、彼は役者になろうと1人で旅に出かけます。彼は一生懸命がんばりましたが、なかな役者になることができません。しかし、30歳の時に書いた、童話集の評判が高まりました。そしてその後は、童話作家の道に進むのです。「おやゆびひめ」、「みにくいアヒルの子」などをはじめ、130以上の童話を書き、今でも多くの子供達に読まれています。1875年の今日、亡くなりました。

8月5日~夏祭り~

農村では、秋になると、イネの刈り取りなどで、大変忙しくなってきます。ねむいからと言って朝寝坊することもできません。東北地方などでは、夏の内に、ねむ気を流してしまおう、という行事が行われるようになりました。この行事のことを「ねむり流し」と呼んでいます。
秋田県秋田市では、今日から長いさおに提灯をたくさんぶらさげて、若者達がかつぐ、「竿灯」(かんとう)が行われます。これもやはり、ねむり流しのひとつなのです。

8月6日~広島原爆記念日~

昭和20年(1945)年8月6日午前8時15分、アメリカのB29爆撃機2機が、広島市の上空に現れました。そして小さな落下傘を落としました。これが広島市民20万人以上の尊い生命を奪った原子爆弾だったのです。広島では、人類が見た最大の爆発が起こりました。市の10分の9は熱い煙と、大きな白い雲におおわれました。
原爆の被害は、広島市の90%以上にも及びました。爆発の中心付近では、ほとんどの人が即死、建物もあとかたもなく壊れました。その後、原爆に含まれている放射能を浴びた人が毎年たくさん死んでいったのです。広島市では、毎年8月6日に平和記念式が開かれます。そして戦争のない平和な世界になることを願っています。

8月7日~日の丸~

江戸時代の終わり頃のことです。鎖国を続けていた日本に、ロシア、イギリス、アメリカなどの外国船が、次々とやってくるようになりました。各国の船は、みな国旗をかかげていますが、当時の日本にはまだ、正式な国旗はありません。そこで江戸幕府は、1863年の今日、日本の旗印を日の丸にするというおふれを出しました。その後、明治政府は、これを国旗にすると正式に決めたのです。
たては横の3分の2。日の丸の直径は、たての5分の3となっています。白地は平和と正義を、赤色はまごころをあらわしているといわれます。太陽がのぼっていくような、すがすがしく勢いのよいすがたをあらわした国旗です。

8月8日~立秋~

わたしたちは一年を、春、夏、秋、冬の4つに分けています。中国から入ってきた旧暦(むかしのこよみ)では、一年を24に分けていました。したがって一つの節目が約15日ということになります。
8月8日頃は、立秋。秋が立つということですが、まだまだ暑さが続きます。立秋を過ぎてからの暑さを残暑といってます。残暑御見舞いのやりとりもあります。8月23日頃の処暑となるとどうやら秋の気配が感じられるようになります。虫の声もだんだんにぎやかになってくるのです。

8月9日~長崎原爆記念日~

昭和20年(1945)年8月9日、広島に続いて長崎にも原爆が落とされました。市の3分の1は焼き払われ、12万人以上が亡くなりました。原爆落下の中心地には、平和公園があります。そこでは毎年の今日、永遠の平和を願い、記念の式典が開かれるのです。
夕方になると、亡くなった人たちをなぐさめるたいまつの行列が行われます。多くの人が、ゆうやみに包まれた中で、たいまつを一斉にともすと平和祈念像が大きく浮かび上がります。また白と黒の礼服に身を包んだカトリック信者の男の子のかかげる十字架を先頭に、公園周辺を行進します。「アベ・マリア」の賛美歌を歌いながらです。こうして多くの市民が、平和を願いながら一日が終わっていくのです。

8月10日~リリエンタール亡くなる~

ドイツのリリエンタールは、飛行機の発達に大きくつくした人です。1848年に生まれ、1896年の今日なくなりました。彼は、コウノトリの飛び方を研究し、弟と一緒に、鳥のような形をしたグライダーを作りました。このグライダーは、木の骨組みに布をはっただけの簡単な物でした。
1891年、彼は初飛行に成功しました。風に乗って飛んだ距離は、わずかに15メートル。その後も実験をくりかえしながら、少しずつ距離を伸ばしていきます。4年後には、350メートルにもなったのです。しかし1896年8月9日、実験をしていたグライダーが落ち、大けがをしてしまったのです。そして、同年の今日「なにごとも、犠牲者がなければ、成功しない。」という言葉を残してなくなりました。
彼は「空を飛ぶ」という人類の夢を初めて実現しました。1903年に、初めてエンジンのついた飛行機で空を飛んだライト兄弟も、彼の実験結果を、じっくりと研究したのです。

8月中旬

8月11日~前畑がんばれ~

昭和7年(1932)年、アメリカのロサンゼルスで開かれた第10回オリンピックの水泳競技に、日本の前畑秀子選手が出場しました。種目は女子200メートル平泳ぎです。この時は、残念ながら第1位と差がわずか0.1秒で、2位となりました。それから4年間、前畑選手は次のオリンピックをめざして、一生懸命に練習しました。一日に1万メートルも泳いだといわれているほどです。
そして、昭和11(1936)年の今日のこと。ドイツのベルリンで開かれた第11回オリンピックで、ついに金メダルを手にしました。この時の様子は、ラジオで日本全国に放送されました。追いすがってくる2位の外国選手を必死に振り払おうとする前畑選手の活躍に、アナウンサーも思わず、「前畑がんばれ、前畑がんばれ」と叫んでしまいました。ラジオを聞いていた全国の人たちも、その声を聞いて、まるで自分たちの前で、前畑選手が泳いでいるように一生懸命応援したのです。こうして手にした、前畑選手の金メダルは、日本女性として初めてのものとなりました。

8月12日~スティブンソン生まれる~

「鉄道の父」とよばれた、イギリスのジョージ・スティブンソンは、1871年の今日、北イングランドの鉱山村で生まれました。お父さんは炭鉱で働いていましたが、貧しくてスティブンソンは学校に行くことができませんでした。しかしお父さんを手伝って炭鉱で働いているとき、蒸気機関に興味をもち、いろいろと研究をはじめたのです。
この頃、すでに蒸気機関車はできていました。彼はそれらを調べよりよい物にしようと考えました。1825年、イギリスで初めての鉄道会社ができました。スティブンソンの作ったロコモーション号が、お客さんを乗せた客車をひいて、走りました。
人々は鉄道の素晴らしさに注目し、その後鉄道がどんどん建設されるようになりました。彼もまた各地の鉄道建設に協力し「鉄道の父」とよばれるようになったのです。彼は、1848年の今日、67歳でなくなりました。

8月13日~月おくれの盆~

月遅れの盆が始まります。13日は、宵盆、迎え盆といって、お先祖様を迎える火をたきます。地方によって、お先祖さまを迎える行事にもいろいろなものがあります。たらいいっぱいにきれいな水をくんで庭先に出し、帰ってきた仏様たちの足を洗うまねなどをするところもあります。
また海沿いでは、お先祖様は海のむこうから帰ってくると考え、笹舟を作り、米、小豆、おはしなどをのせて、海に流します。するとそれにのって、お先祖様はわたしたちの所に戻ってくるというのです。

8月14日~少年よ大志をいだけ~

明治9年(1876)年8月14日、北海道の開発を指揮する人を育てるため、札幌に札幌農学校が開設しました。新入生24人の前で、北海道開拓使長官の黒田清隆があいさつをした後、1人の外国人が話し始めました。アメリカのクラーク博士で、日本政府に招かれて教頭としてやってきたのです。
博士は、新入生達に向かって、人格の高い人になって、国のために尽くして欲しいと話しました。博士は、農学、化学、数学、英語を教えました。熱心なキリスト教信者の博士に、生徒達は大きな影響を受けました。生徒達は、卒業後も博士の教えをよく守り、みな立派な人になりました。
博士が日本に来て8か月後、「ボーイズ・ビー・アンビシャス」(少年よ大志をいだけ)という有名な言葉を残して帰国しました。博士の教えは、その後の札幌農学校の教育にも大きな影響を与えました。新渡戸稲造、内村鑑三などの有名な教育家も、この学校で学びました。

8月15日~終戦記念日~

日本で第二次世界大戦が終わったのは、昭和20(1945)年の今日のことです。ラジオで重大な放送があるということで、全国民は耳をそばたてていました。正午の時報と同時に、「ただ今より重大な放送があります。」というアナウンサーの声に続いて、やがてきれいな声が流れてきました。それは初めて聞く天皇の声です。日本はこの戦いにに敗れた、戦争は終わったということでした。
全国民はまさかと思いました。なかなか信じられませんでした。中国との戦いが始まったのが、昭和6(1931)年、アメリカのハワイを奇襲したのが昭和16(1941)年です。実に長い戦争でした。

8月16日~送り火~

お盆の間に、家に戻っていたお先祖様が帰っていく日は、むかしのこよみでだいたい8月16日とされています。盆送り、精霊送りと呼ばれて、いろんな行事が行われています。朝、お先祖様に供えた食べ物を、川や海に流すのです。
京都では、夜、京都の北にある左大文字山に、大の字なりに、火がまるでイルミネーションのように、夜空に輝きわたります。江戸時代の初め頃から行われている行事で、「大文字焼き」と呼ばれています。また灯籠祭り、灯籠流しなどが各地で行われ、「お先祖様、来年までさようなら」と別れを惜しむのです。

8月17日~セミのなくころ~

「ジージー」、「ミンミン」、「シャンシャン」、セミの鳴き声がだんだんにぎやかになってきます。セミのメスは、木の皮の中に数個の卵をうみます。数日して幼虫がかえって、地中に入ります。長い地下生活が始まるのです。幼虫は丈夫な前足を持っています。前足は大事なあなほり道具です。木の根の汁を吸って生きています。
数回脱皮して地上にでますが、それまでアブラゼミやミンミンゼミは六年、アメリカのジュシチネンゼミは、その名の通り17年間も地下にいます。そして地上の生活は、わずかに数日だけです。

8月18日~豊臣秀吉亡くなる~

豊臣秀吉は、尾張国(愛知県)に生まれました。小さい頃からすばしこく、また顔も似ていることから、サルと呼ばれていました。秀吉はどうしても武士になりたくて、20歳の頃、織田信長のもとで働くようになりました。才能を認められた秀吉は、武士となり、信長に仕えて、数々の手柄をたてます。そして、1574(天正2)年には、近江国(滋賀県)の長浜城の城主となるのです。
1582(天正10)年、明智光秀が信長を京都の本能寺で殺してしまうと、秀吉はすぐに光秀を攻めて、信長のかたきをうちました。そのあと、秀吉は信長の後をついで、しだいに力を強めていきました。
そして、1590(天正18)年、ついに全国を統一しました。秀吉は社会の仕組みを整えたり、朝鮮半島や中国にも領土を広げようとしたものです。1598(慶長3)年の今日、亡くなりました。

8月19日~ワットが亡くなる~

イギリスのスコットランドにある小さな町で、ジェームス・ワットという名の子供が産まれました。1736年のことです。お父さんは船大工です。体の弱い少年だったワットは、学校へ行けず、両親に勉強を教わりました。19歳の時、彼は機械細工を自分の仕事にしようと考え、ロンドンで勉強しました。そして、大学に勤め、実験の準備や、器具の整備をする助手になったのです。ここでワットは、ニューコメンの発明した動力機関にであいました。この機関は調子が良くなかったため、ワットはこれを改良しようと考えます。そして、彼が33歳の時、大変立派な蒸気機関を完成させました。
ワットはその後も研究を続けます。彼の研究は、その蒸気機関をより利用しやすくすることでした。そして彼の研究のおかげで次第に、蒸気機関が広く利用されるようになり、産業の機械化が進んだのです。

8月20日~南総里見八犬伝 完成する~

「南総里見八犬伝」の作者滝沢馬琴は、1767(明和4)年、江戸の武士の家に生まれました。14歳の時に家を出て、作家になろうと決心します。24歳の頃から本を出版し始め、300もの作品を残しました。
馬琴の作品の特徴は、非常にストーリーが長く、そして複雑なことです。正義の味方が登場し、悪者と対決して、読者をはらはらさせながら、ついに正義の味方が勝ちます。このような本を「読本」(よみほん)といいます。
「読本」の代表ともいえる「南総里見八犬伝」は実に38年間もかかって書かれた物で、1841(天保12)年の今日完成しました。完成間近に失明した馬琴は、息子の妻に口ではなし、それを書かせる苦労の末に完成したのです。

8月下旬

8月20日~東京・銀座に自動信号機おめみえ~

登校するとき,安全を確かめながら来ているかな。朝は通行する人が多いから危険もいっぱいです。だから安全のために信号がとりつけられて交通整理をしているね。でも,昔は信号機はなかったのですよ。なんと四つ角の真ん中に台をおいて,その上でおまわりさんが手で合図をしていたのです。
自動信号機は昭和6(1931)年の今日,東京の銀座や新橋につけられたのが始まりです。

8月21日~FAXが日本で使われた日~

祖父 おばあちゃん,東京の孫から誕生日おめでとうって,ファクシミリが届いたよ。
祖母 まあまあ,字もしっかりしてきたこと。それにまあ,かわいいわね,このおじいちゃんの顔。
祖父 学校から帰ってすぐかいてくれたんだね。たんすの上に飾っておこう。
語り 昭和4(1929)年の今日から,ファクシミリは,通信社や新聞社などで使われ始めました。今では,広く家庭でも使われています。

8月22日~東京の市電が開通~

今日は,明治36(1903)年に東京で初めて,新橋と品川の間に市内電車が走った日です。
日本で最初に電車が走ったのは,明治23(1890)年上野公園の博覧会で,会場に来たお客をのせて500メートルの線路の上を走ったそうです。
翌年には,それまでの鉄道馬車にかわって,品川から浅草までの市内電車が走るようになりました。

8月23日~会津の白虎隊自刃の日~

今日は8月23日だから白虎隊の話をしよう。
昔,明治維新の時,それまでの徳川幕府方について官軍と戦っていた,会津藩の15歳から17歳の少年隊のことを白虎隊といったんだ。自分たちの藩を守るため,官軍を相手に勇敢に戦っっていた。けれど,次から次へとせめよせる大軍に,だんだん疲れ果て,20名がやっとのことで飯盛山に引き上げてきた。やっとのことで引き上げてきたが,味方の猪苗代(いなわしろ)城が焼け落ちるのを見て,もはやこれまでと会津の本城にむかって手をあわせ,自分の刀で命をたったんだ。

8月24日~若山牧水生まれる~

「幾山河(いくやまかわ) 越えさりゆかばさびしさの 果てなむ国ぞ きょうも旅ゆく」
これは,いくつの山川をこえていったらさびしさのない国になるのか,と旅をする心をよんだ若山牧水の有名な短歌です。
明治18(1885)年の今日,若山牧水が宮崎県に生まれました。本名は繁(しげる)といいます。短歌をつくることが好きで,中学生のころから短歌や文章を雑誌社におくっていました。早稲田大学にすすんで尾上柴舟(さいしゅう)という先生について短歌の勉強をし,数々の歌集を残しました。

8月25日~種子島に鉄砲が伝わる~

1543(天文12)年の今日,ポルトガルの船が九州の種子島に流れ着いて,鉄砲が伝えられました。
そのころの鉄砲は火縄銃といって,火薬につけてある火縄が燃えて火薬に火がつき,弾丸をうちだすものでした。
この鉄砲は,最初に伝えられたところの名前をとり,種子島とよばれています。
その後鉄砲は,日本でもたちまちにつくられるようになり,戦いの仕方をかえました。

8月26日~海洋気象台ができた日~

A もしもし,こちら富士山頂から,気象状況を報告します。
B もしもし,瀬戸内海に赤潮発生。
C もしもし,青森では霧が発生。
D わー,目が回るようだ。中央気象台だけじゃさばききれない。
*そこで,大正9(1920)年の今日,組織をあらためて,海洋気象台は神戸の花園町に庁舎をたてて,中央気象台から独立したのです。
ここでは,海流や潮の満ち干,海洋現象などの調査や研究をしたり,海上をいききする船に,台風などの位置を知らせたりします。

8月27日~日本初の原子の火がともる~

昭和32(1957)年の今日,日本で初めて原子力の火がともりました。
第2次世界大戦後,世界中で一段と原子力の研究がすすみました。しかし,この戦争に負けた日本は,講和条約がむすばれるまで,原子力の研究は許されませんでした。
日本原子力委員会では茨城県東海村に原子力研究所をつくり,アメリカから輸入した原子炉で研究をはじめ,昭和32(1957)年の今日,原子炉の火入れに成功したのです。
原子力というのは,原子の核が分裂するときに出る大きな力や熱のことで,日本の場合は,その熱で電力をおこしたり放射能をもつ物質を病気の治療に役立てたりする,平和利用の研究をすすめています。

8月28日~日本テレビが開局~

昭和28(1953)年の今日,日本テレビが民間放送テレビ局として初めてテレビ放送をはじめました。
民間放送は,公共放送(NHK)とちがって,商品などのコマーシャルを流し,その広告料で放送をおこなっています。
その後民間放送はどんどん増えて,今では日本全体で100くらいのテレビ局が放送しています。

8月29日~ツェッペリン伯号世界一周新記録~

こちらは,1929年8月29日のアメリカ,レークハースト空港です。今月7日,世界一周をめざして東にとびさったドイツの最新鋭飛行船「ツェッペリン伯号」が,西の空に姿を現すのを全市民が見守っています。
ぽつんと黒い点が,見えます。時速110キロメートルの速さで空港をめざしています。ついにその巨大な影をおとし,ただ今世界一周成功の一瞬です。21日7時間3分,3万1500キロにおよぶ世界新記録の飛行です。
「ツェッペリン伯号」のこの新記録のかげには,アルミ合金の骨組みで強い船体を作り,スピードにたえられるようにしたなど,技術上のたいへん大きな苦労があったのです。

8月30日~堀江謙一さん太平洋を横断~

平成元(1989)年の今日,兵庫県西宮港に,小さなヨットが横付けされました。
堀江謙一さんが操縦するミニヨット「マーメイド号」です。堀江さんは,アメリカ・サンフランシスコ港を4月に出航して,それから136日と12時間,たった1人で1万2000キロの太平洋横断をやりとげたのです。
その27年前の昭和37(1962)年に,堀江さんは,同じ西宮港からサンフランシスコ港まで,世界初の太平洋ひとりぼっちの横断に成功したのです。
そのときのヨットも「マーメイド号」といいましたが,ヨットの長さは5.8メートルという小型でした。日本人の冒険心と技術の高さを世界中にしめしたのですが,往きだけの片道航海でした。今度はアメリカから帰りの航海を,しかも往きのときの半分以下の2.8メートルという超小型ヨットで成功させたのです。ときに,平成元年8月30日午後2時4分でした。

8月31日~全国的に明日から2学期~

私たちの学校では,もう2学期が始まっていますが,日本の多くの学校は,今日で夏休みが終わり,いよいよ明日から2学期がスタートします。北日本地方は夏が短く,長い冬休みをとるため,少し早めに2学期が始まりますが,明日からは全国の学校で新学期が始まるのです。
2学期は1年で1番長い学期で,学校によっては運動会や遠足など,楽しい行事がたくさんあります。さあ,みんなでがんばりましょう。

引用文献『きょうはどんな日?』明治図書
      『学校実用歳時記』小学館
      『きょうはどんな日?』ポプラ社
      『学習に役立つものしり事典365日』小峰書店
      『365日のひみつ』学研


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