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TOSSランドNo: 2310159 更新:2013年01月05日

授業で使えるエピソード集5「10代の友達関係」


エピソード1 (島根・男)

小学校の高学年の頃、仲のよかった友達が次々と転校していった。ポッカリと胸に穴が空いた感じがした。中学校に入り、小学校の時の友達や部活の友達ともそれなりに仲よくはしていたが、「親友」と呼べる友達はいなかった。今にして思えば不遜なことかもしれない。高2の時、違う中学校から来たやつと友達になった。その友達との付き合いは今でもある。結婚式にも招待した。毎年彼が帰省するたびに会って話す。思えば、自分は中学・高校と一人ですごすことも多かった。いちいちの「友達付き合い」をするのが面倒だと思ってもいた。今はほとんど10代の友達とつき合うことはない。仕事で接する人との付き合いの時間が多くなっている。10代の友達から学んだことは、「人は変わるということ」「他人に求めすぎてはいけないということ」「親しき仲にも一線を引くということ」だった気がする。

エピソード2 (北海道・男)

「もし、昔に戻れるなら、いつに戻りたい?」職員室の話題になったことがある。ある教師は、赤ちゃんの時代と答えた。理由は「人生を1からやり直せるから…」というもの。確かに、今と全く変わった人生を歩めるかも知れない。でも、今のような幸せの人生が歩めるとは限らない。やはり本人の努力が必要である。また、ある教師は大学時代と答えた。「今の財力があれば何でもできる」というのが、その理由。大学時代は、今よりも時間があった。お金さえあれば世界一周旅行も可能だろうし、パソコンを極めることもできる。私は、高校時代と答えた。高校3年間は本当に楽しかった。最高の友人達に恵まれ、学校に行くのが楽しかった。高校のグランドを横切れば、そこは砂浜だった。昼休み、学級のほぼ全員がそこで過ごした。「青春」そのものだった。男女を問わず、恋愛を語り、夢を語り、人生を語った。その友人達は、全国、全世界に広がっている。あらゆる場で活躍している。私も、そうしうた友人達に負けないよう教師修業に励んでいる。ネットの時代は、あらゆることを可能にしてくれる。高校の友人達で、MLを立ち上げた。21世紀の初日(今年の元日)が、そのスタートとなった。更新されるメールは少ないが、学級のほぼ全員が参加している。高校時代の友人は、間違いなく人生最高の宝物である。

エピソード3 (北海道・男)

中3の時に塾に通い始めた。それまでは同じクラスというだけで、それほど親しくなかったSと一緒にだ。塾は9時半くらいに終わる。真っ直ぐ家に帰ることはあまりなかった。週3日の塾のうち、2日は町はずれの空き地で星空の下、恋や友情、夢を語り合った。エッチな言葉の大半はそこで覚えた。異性との交際についても、そこで情報交換してた。「俺は教師になる。」「俺は世界を旅して、帰ってきたらおしゃれな喫茶店を開く」そして10年。私は教職に就いた。彼は今、酒の世界で修行中だ。中学校の友人たちの中では一番連絡を取る回数は少ないが、一番近くに感じる。数年ぶりであっても中学生の時と会話は変わらない。話題はそれらしく大人になっているけれど、一緒にいる人を楽しませようという彼の姿勢は昔のままだし、恥ずかしげもなく夢を披露し合える関係はあの頃と同じ。

エピソード4 (岡山・女) 

中学2年生の4月、クラス替え発表の日、私は沈んでいました。今までの仲良しが同じクラスに誰もいない、休み時間はひとりぼち。性格は明るいほうだけど人見知りでもあった私は、1週間ほどつまらない日々を過ごしました。さらに悪いことに、部活動での仲良し3人組の2人と気まずくなっていたので、朝練で登校してから下校まで、精神的なひとりぼっちが続きます。いじめられたわけではないけれど、寂しくて仕方ない、辛い日々です。熱があっても学校に行くほど学校大好きな私が、学校なんて行きたくないなあ、と初めて思ったほどです。そんな時、クラス写真を撮ることになりました。中庭に移動します。みんなはガヤガヤと席を立って移動を始めました。私は、誰と行く当てもなく、ゆっくり席を立ち、みんなの最後に行こうとしました。その時です。学級委員のIさんが、「一緒に行こう」と声をかけてくれたのです!本当にうれしかった! ”救われた”と思いました。写真は、後ろの列で人の影に隠れるようにして寂しげな表情で写っていました。でも心の中には、隣に立っている I さんに対して感謝の気持ちがあふれていました。照れくさくて素直に言えなかったけど、本当にうれしかった。ありがたかった。その後、I さんとは、特別親しくなったわけではありません。学級委員としての義務感から声をかけてくれただけかもしれません。それでも、あの時の I さんの一言は、きっと一生私の心の中にあったかい気持ちと一緒に残るでしょう。10代、親友もできました。気の合う仲間もできました。一生の友人たちです。でも、今どこで何をしているかさえ知らないけれど、I さんも大切な10代の友人です。一生心に残る友人にあの時出会えて、本当に感謝しています。

エピソード5 (北海道・男)

10代の友達で、今でもつきあいがあるのは大学時代の友達だ。10代最後から20代の初めまでを共に過ごした仲間達だ。何だかよく分からないくらい、いろいろなことを語り合った。いろいろな場所に出かけた。いろいろなことをして遊んだ。今でも懐かしく思い出す。その仲間達も、結婚し、人の親になっていく。自分も結婚し家庭を持った。時のたつのは早い。でも思い出は色あせない。

エピソード6 

「友だち」て何?って俺は思った。あるヤツは言った。「友だちは、俺にとって一番大切なもんです。」でも、そいつの友だちは不良ばかりだった。タバコをすすめ、彼女を紹介させ、親に無断で外泊ばかり繰り返していてた。俺は、そいつに聞いた。お前の友だちってのは、どこに住んでいるんだ。「知らない」と言う。いつ、知り合ったんだ。「2週間前。」お前にタバコすすめるだろう。「うん。」俺は、そいつに言ってやった。「お前が言っている『友だち』ってのは、本当に友達じゃない。俺には、『友だち』友だちと言える人間が3人しかいない。『友だち』ってそんなに簡単にできるようなもじゃない。」俺は、そいつが好きだった。素直に、人の話を聞くヤツだった。俺が「友だち」と呼べる3人の内の一人だった・・・。

エピソード7 (広島・女) 

A小学校出身者はみな中学校から約15キロ以上離れた山間に家がある。それで週末だけ家に帰り,ウィークディは学校の裏手にある寮で生活していた。全学年の混成からなる4人が一組となって同じ部屋で生活するのである。1階が男子,2階が女子部屋だった。毎晩10時に点呼があり,部屋の前で4人整列して「異常ありません」という儀式。眠たくて眠たくて半分崩れそうになりながら整列していた記憶がある。10時以降に起きる者は延灯願なるものを出さなければならない。四六時中ガサガサしていて,嬌声が飛び交い,なぜかいつも眠たく,いつもお菓子に飢えていた,そんな哀しい記憶の残る寮生活。「寮の人はみんな同じ髪の匂いがする」と言われた(当たり前だ。同じシャンプーを使ってるんだから)。週末を家で過ごし,明日から再び寮生活という夕方は,不安なのか不満なのかタンスを開けたり閉めたりを繰り返す子どもだったと家族はいう。「実は寮生活が大嫌いなのだ」とは親にも誰にも言えなかった。言えば「この子は集団適応能力がないんじゃないか」「将来,集団の中でやっていく訓練ができないのか」と的はずれの心配をされるのが関の山だったから。卒業時には心の中で快哉を叫んだ。これからは自分のペースで物事を感じたり考えたり出来る,ということがたまらなく嬉しかった。結局,私にとって寮生活は,友人関係がどうのというより,妙な集団生活に有無を言わさずつきあわされた人間に,自分の中の”個を大切にしたい”という願いを一層強く希求するよう働きかけたということになろうか。

エピソード8 (北海道・女)

「新しい出会い」を求めて、高校合格が決まったときから、胸が弾んでいた。地元の中学からその高校に進んだ女の子は私を含めて二人だった。新しい場所での新しい人間関係にわくわくしていた。高校1年生で同じクラスになった4人組。高校時代には、けんかもした。
口をきかない日が続いたこともあった。36歳になった今、仕事などの関係で年に会えるのは数回しかないが、今でも大切な友達。高校を卒業してから5年目に「私たちが出会ってから5年目だね。これからもずうっと続くような気がする」と1人が言ったのは当たっていた。
数ヶ月ぶりに会ったときでも、その空白がまるで感じられずに、話が尽きない。失恋の話をしみじみと聞いたり。職場の悩みを打ち明けあったり。付き合っている人の楽しい話を聞いたり。子育ての苦労を語ったり。旅行にも出かけたり。こんなに友達関係が続くのは、「誰か1人がいないところで悪口を言うことは絶対にありえない」という信頼関係ができているから。私はそう思っている。15のとき得た友達。私の宝の一つだと思っている。

エピソード9 (北海道・男)

高校の卒業式の日。学年全体の謝恩会には出席せず、友達の家の車庫で焼肉をした。安酒を持ち込み、みんなで飲んだ。それぞれが、大学進学のため、それぞれの街に行くことが決まっていた。話したいことはたくさんあったが、いつものようにバカな話で笑い合ってばかりいた。誰かが「カラオケに行こう」と言いだした。押し合い、蹴り合い、フザケながら、カラオケボックスへ行った。数時間、食べ、飲み、歌い、騒いだ。最後に「いとしのエリー」の曲が流れた。誰かが泣き出した。つられて、自分も泣いた。隣りのヤツも泣いていた。明日からは、違う町で、違う道を歩いていく。言葉にはしなかったけれど、いろいろな思いがあった。お互い、肩を抱き合い、涙を流しながら歌った。とっても悲しかったけれど、最高の夜だった。テキストを記入して下さい


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