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TOSSランドNo: 2310161 更新:2013年01月05日

授業で使えるエピソード集7「あいさつと私」


エピソード1 (北海道・男)

昨日の面談で感心した生徒がいます。1人は田渕俊博君です。教室に1歩を踏み出し、静かにドアを閉めました。ここまでは、誰でもできることです。ここからがすごいのです。「よろしくお願いします」の大きな声とともに、腰を90度に折って深々と礼をしました。俊博君の素晴らしい礼を見て、私の方が緊張してしまいました。この礼の仕方は、野球部で実践しているものです。以前に紹介しましたが、優大くんは職員室にはいる時に実践しています。私が感心したのは、野球部を引退して4か月が過ぎているにもかかわらず、部活動で指導されていたことを継続して実践していることです。どの部でも、競技技術だけではなく心の面も指導しています。指導者であれば、部活で指導したことが実生活でできるようになることを理想としています。 「グランドでは礼をするが、教室に入ったら礼はしない」というのでは、本当に身に付いたとは言えないからです。俊博君は、レギュラー選手ではありませんでした。試合にも、なかなか出場する機会には恵まれませんでした。でも、練習はほとんど休まずに参加していました。ごみ拾いやグランド整備も、率先して行っていました。学校で行う部活動は、あくまでも教育の一環です。プロ野球とは違います。試合に出て勝つことよりも、日々の生活に役立ち、人間として確かな成長が実現できることの方に価値があると思っています。俊博君の姿に1番喜んでいるのは、野球部顧問の先生だと思います。

エピソード2 (島根・男)

小学校から高校まで野球をしていた。「あつさつができないやつが野球が上手になるわけがない。」ずっとそう言われて、しつけられた。
「なぜ、あいさつができないと野球が上手にならないのか?」そんな疑問を抱いたことはただの一度もなかった。そういうものだと思っていた。大人になった今もそう思っている。「人はあいさつができなければいけないもの」だし、あいさつさえできない人は何もできはしない。」 あいさつの意味については、鈴木健二氏の『気くばりのすすめ』に文がある。挨拶とは「心を開いて,相手に迫る」という意味である。

エピソード3 (北海道・男) 

「人間は中身が大切」とよく言うけれど、外見も大切だ。というより、外見のいい人には、中身のいい人も多い。私も外見で人を判断する。服装、髪型いろいろあるが、まずは挨拶で人を見る。「挨拶判断」とでも名付けようか。これが意外に当たる。というより、はずれたことがない。性格はもちろん、時には人生までも見えてくる。人間、挨拶に嘘はつけないらしい。ポイントは、声の大きさ、頭の下げ方、目線、速度、といったところか。人のことを知りたいなら、「挨拶判断」をお勧めする。

エピソード4 (埼玉・女) 

娘たちの小学校に授業参観にゆきました。休み時間に廊下をぶらぶら歩いていると、どこの学校でもある、すれ違いざまの「こんにちわ」、というあいさつもいくつかありました。そんななかで私の顔をみて、ちょっと照れながらにっこりと挨拶をしてくる子どもたちもいました。近所のこどもたちです。昼間は働いている私ですから、彼らとあうのは、子ども会や運動会くらいで年に2・3回です。それでも、しっかり覚えていてくれて、かなり離れた家の子も、5年まえにひっこしてきた子も、1年生のちっちゃい男の子までも全員あいさつをしてくれました。改めて、思い出してみると、近所での挨拶は当たり前にのことなのです。高校3年生の女子高生が、田んぼにいるおじいちゃんに挨拶しています。OLとなって自分の車を運転する子も、道ですれ違うとぺこん、とおじぎをします。たまに挨拶をしないで通り過ぎる大人がいるとおじいちゃんは家に帰って、「あれは実に失礼だ。いばっているようだ」と話してくれます。子どもの頃は挨拶をしなさい、といわれる側でした。しかし、大人になって今回の授業参観のように挨拶をされる側になると、はじめてその大切さがわかるものです。

エピソード5 (岡山・女)

小学生の時、集団登校のために集合場所へ向かうわずか数百メートルの道のりは、私にとってドキドキの連続でした。なぜなら、途中で出会うすべての人に”あいさつをしなくちゃいけない”と思っていたからです。はっきりとは覚えていませんが、きっと母に「誰にでもあいさつをしなさい」と言われていたのだと思います。誰とも会わなかった日は、ちょっとホッとします。会う時には、おじさん、おばさん、高校生のお兄さんなど、いろいろな人に会います。勇気を出して「おはようございます」と言っても、返事がないことも、もちろんあります。ドキドキです。でも、時には「今日はいい天気だね」とか、「気をつけて行ってらっしゃい」とか、一言添えて返してくれる人もいます。そういう日は足取りも軽く、学校から帰ったら必ず母に報告しました。すると「よかったね」と言ってくれます。それが嬉しくて、また”あいさつ、あいさつ!”と思いながら通いました。いつの間にかドキドキがなくなり、あいさつをするのが当たり前になっていました。学生時代、先生に ”あいさつは大切だ” と、さんざん言われていた意味を、社会人となって痛感する今、幼い頃を思い出して、母に感謝しています。

エピソード6 (長野・男) 

「近所の人に会ったら、必ずあいさつをしないさい」が母の口癖だった。近所へお使いに行くとき、どんなふうにあいさつをするのか、母に教えてもらった。言ってごらんなさい、とその場でやらされた。OKがでるとようやくお使いに行けた。学校へ行く途中、近所の人に会うと「おはようございます」と挨拶した。道で会えば、「こんにちは」とあいさつをした。小さな時から繰り返し、繰り返し母に言われ続けられたことである。知っている人に会えば、あいさつができるようになった。でも、ただあいさつをするだけの自分に気づいた。形式的なあいさつだった。そのとき「本当のあいさつ」ができない自分に気づいた。何かが足りない自分に気づいた。自分には「心」が足りなかった。言われたことをやるだけの自分から心のこもったあいさつができる自分になりたいと思うようになった。目と目を見て、相手のことをことを考えたあいさつができる自分になりたいと思った。「あいさつ」ぐらいと簡単に考えていた自分を振り返った。この歳になって母が言った口癖の意味をようやく考えられるようになった。「本当のあいさつ」ができる人間になりたい。

エピソード7 (広島・女)

私のあいさつの原風景。小学校2年生頃か。子ども心にも素敵な校長先生がおられた。物腰柔らかな紳士である。ある日,校舎に向かう正面階段でその先生と2人きりになってしまった。なってしまった,というのは,昔から私は素敵だと思う人と正面から向き合う事態になると,なぜか逃げ腰になるのだ。或いは,嬉しさのあまり,かえってつっけんどんになってしまう。この時もそうだった。階段途中で校長先生は私に優しく何かを問いかけてくださった。その質問に,なんと私は感激のあまり,「うん!」と答えてしまったのである。しまった!と思ったがもう遅い。校長先生はその答を受けて「『うん』じゃなくて『はい』ですよ。」と優しく穏やかに諭してくださった。ところが,そんなことを言ってしまった自分に腹が立ち,まともに校長先生のお顔を見ることが出来ない。不甲斐ない自分にまた腹を立て,悔しさのあまりその時の私は目に涙を浮かべていたに違いない。時を経て,教師になってからのパーティー時,「この方は...」と深く尊敬し憧れる教師がいらっしゃる。実は,あちらにも,こちらにもいらっしゃったりするそんな時,私の心の中は葛藤状態になる。「進み出て一言ご挨拶すべきか。」いや「差し出がましくないか。」「引き際をどうするつもりだ?」等々...要するに,考えすぎなのであろう。結局,何も言えずに遠くから様子を窺うだけのことも多い。パーティーのたび,ふぅとため息をつく。

エピソード8 (北海道・男)

詩です。・・・・・・・・・・

「はい」と「おはよう」と「ありがとう」と「まなざし」
                      山本 真吾
「はい」素直な言葉です
「はい」と言える時が多ければ多いほど
「はい」と言われる時が多ければ多いほど
幸せな人生だと思います

「おはよう」さわやかな言葉です
「おはよう」と言える時が多ければ多いほど
「おはよう」と言われる時が多ければ多いほど
幸せな人生はだと思います

「ありがとう」美しい言葉です
「ありがとう」と言える時が多ければ多いほど
「ありがとう」と言われる時が多ければ多いほど
幸せな人生はだと思います

「まなざし」目で語る言葉です
「まなざし」を投げかける時が多ければ多いほど
「まなざし」を投げかけられる時が多ければ多いほど
幸せな人生だと思います

エピソード9 (北海道・男)

バドミントン部の顧問をすることになった。部の雰囲気はたるんでいた。練習している時間よりも、座って話している時間の方が長い。当然、大会に出場しても勝てるわけがなく、2回戦に進むのがやっと。悔しくて仕方がなかった。空しくて仕方がなかった。中体連が終わり、3年生が引退すると同時に、部の体制を大きく変えた。練習日を増やし、休憩時間を短くし、内容もかなりハードなものにした。
それでも、部員たちはよくついてきた。実力はメキメキと上がり、数ヵ月後には、市内の大会で優勝常連校と準決勝・決勝を戦うまでになった。しかし、試合は完敗。ラリーにはなるのだが、大切なところでミスが出る。相手チームには出ない。まだまだ練習が足りない。そう思った。表彰式にのぞみ、また次の試合で頑張ろうと、部員たちと会場をあとにしようとした。ふと見ると、優勝した学校の選手が、駆け足で会場入り口に行き、一列に並んだ。「ありがとうございました!」会場には、もう数名の大会役員の方しか残っていなかったが、一斉に頭を下げ、大きな声で挨拶を響かせていた。それを聞き、自分は何を指導してきたのかと恥じた。練習量ではない。練習内容ではない。私のチームは、もっと根本的なところに差があったのだ。


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