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TOSSランドNo: 2310156 更新:2013年01月04日

授業で使えるエピソード集2「試験勉強と私」


エピソード1 (北海道・男)

他人と同じような勉強をしていては、他人と同じような点しか取れない。中学生ながら生意気にも、そんなことを考えていた。オリジナル(だと思っていた)な勉強方法を考えた。中学生の私がたどり着いた方法がこれ。◆英語。教科書本文の日本語訳をノートに書く。自分で書いた日本語訳を読んで、その英訳を書く。1ヶ所でも間違えていたら、やり直し。日本語訳、英訳が完璧にできるようになるまで、これだけを繰り返す。単語、熟語、基本構文、助動詞の使い方…繰り返すうちに完璧になった。弱点が1つ。発音問題に対応できないこと。tableは「タブレ」、Wednesdayは「ウエドネスダイ」と唱えながら書いていた。(今でも…)◆社会。教科書を読む。読みながら、一問一答問題を作っていく。とにかく作る。ひたすら作る。どんな小さな、こんなの試験に出ないよ、と思われるものも問題にする。できたら、答えの部分を紙で隠して、問題を解いていく。この方法、実は問題を作っている時点で、答えはほぼ頭に入ってしまう。なので、問題を解くときには、「漢字で書けるか」という課題を課す。それをクリアーしたら、今度は問題文を紙で隠す。答えをみて、問題文を紙に書いていく。テストの論述式問題用の訓練になった。◆国語。「国語の勉強方法は?」と聞くと、「普段から本をたくさん読むこと」と多くの人に言われた。本などまったく読んでいなかった。でも、確かに本を読まなきゃダメだな、と思った。そこで、教科書を読んだ。何度も読んだ。暗唱できるくらい読んだ。隅から隅まで読んだ。これだけでも、中間、期末試験は何とかなった。◆数学・理科。本屋で「最高水準問題集」という、強気な名前の問題集を買った。「最高水準」だけあって、まったくさっぱり分からないくらい難しい。1回目は、解答を読みながら解いていく。2回目、解答を読まずに解いてみる。できた問題、できなかった問題に分ける。3回目、できなかった問題だけやる。それでも、まだできなかった問題がある。が、「こんな難しいの、試験に出ない!」とあきらめる。「最高水準」であれだけできたんだから大丈夫と自分に言い聞かせて。理科・数学は苦手だった。でも、試験の結果は悪くなかったと記憶している。「最高水準」という名前が、自信を与えてくれたのかもしれない。

エピソード2 (島根・男)

なんといっても英語の勉強を思いだす。中学の英語教科書は全文暗記していた。読む、読む、読む。眠たくなれば、部屋で立って読む。部屋の中で歩いて読む。そうやって教科書を丸暗記して定期テストに臨んでいた。少々の理屈は覚えていないとしても、教科書の丸暗記で、8割以上は楽々だった。そして書きまくった。ノートや広告の裏に英文を書いた、書いた。英語の勉強で問題集をやった記憶はあまりない。理科と社会の勉強も英語の勉強と同じだった。とにかく教科書を読みまくった。テスト範囲の全文を最低10回は読んだ。次に授業ノートをテスト用ノートに写した。声に出しながら写した記憶がある。すると不思議なことに授業中の先生の言葉がどんどん思いだされてきた。理科と社会の勉強も教科書を主に使って勉強した。

エピソード3 (広島・女)

田舎ののんびりした中学校だった。実力テストが頻繁にあるわけではなく,親から勉強せよとやかましく言われたこともない。文系の試験は暗記ゲームのような感覚があったような...。ただ理数系科目は苦手だった。数学!高3の夏休みは学校の図書館に通い詰めた。授業で使っていた数Ⅰ問題集を繰り返し解いた。「この中のどの問題が出題されても解けるようになるゾ」の一念。できなかった問題は自力で解けるまで何度もやった。他の参考書には目もくれずその本だけに集中した。1冊を攻略し終えた,と感じたとき数学の風景が変わって見えた。

エピソード4 (長野・男)

先生は、はじめて受けた教員採用試験に失敗しました。不合格になったのです。中学校の技術の教師として試験をうけました。当時、技術科の採用は100パーセント大丈夫と言われていました。しかし、先生は不合格でした。「なぜ、自分だけが不合格になったのか」と疑問と怒りをもちました。試験に落ち、父親に怒りをぶつけ、来年もう一度採用試験を受けさせてほしい、と頼みました。父親は「90パーセントの確立で受からないから、辞めろ」と言いました。そして、「自分が不合格になったことを、人のせいに、しているようなものに教師になって欲しくない」と諭されたのです。自分の勉強不足をはじめて後悔しました。必死にならなくてはいけない。と心から思った瞬間です。

エピソード5 (北海道・男)

自分が勉強してるんだ、という実感がほしかった。そこで、英和辞典を引くたびに、その単語にアンダーラインをつけていった。だんだん、増えていくアンダーライン。受験間近の2月には、分厚い英和辞典のどこをめくってもアンダーラインが引いてあるまでになった。「いやあー、よくこれだけ辞書を引いたもんだ」と、我ながら感心した。そして、それが志望校合格につながった。自分の勉強した足跡を残すこと。それが、自信を生む。そして、未来を開く。

エピソード6 (山口・男)

中学校時代は、英語をのぞいては本当に勉強をしなかった。英語の勉強が特に楽しかったかどうかはよく覚えていない。ただ、塾の先生はとても厳しかった。同時に、教え方も上手だった。中学入学から卒業まで、「英語が難しい」と思ったことは一度もない。学校の先生、塾の先生の教え方が上手だったのだろう。ほとんど毎学期「5」だった(5段階評定で)。で、どんな勉強をしていたか。覚えているのは、
・ノートの左のページに教科書の英文を写す。
・ノートの右のページに日本語訳を書く。
・教科書を何度も読む。
・教科書を何度も読んで覚える。
・学校のワークをやる。
というわけで、特別な事は何もやっていない。いや、やっていたのかもしれないが、まったく記憶にない。それでも「英語の」成績はよかった。しかし、他の教科の成績は見るも無惨だった。担任からは、「英語がこれだけできるのに、他の教科がこんなにできないわけがない」「他教科も勉強しろ」と、いつもいつもいつもいつも言われていた。しかし正直なところ、当時の私には、英語の勉強と、他教科の勉強は、「全くの別もの」にしか思えなかった。中学2年からは数学の塾にも通い始め、数学の成績は飛躍的に伸びた。(逆に言えば、中1の成績はそれほどヒドかった。)先生が黒板に書く例題とその解き方を写してやり方を覚える、あとはひたすらプリントをやる。わからなくなったら手を上げて質問する。毎回の2時間はあっという間だった。それだけ充実していた。最初の1時間が終わると、紅茶を飲ませてくれた。時々ここで先生の余談が聞ける。「いかに先生の余談を長引かせるか」勉強時間を短くするため、友だちと挑戦していた。しかし、なかなかこちらの作戦にはまらない、賢い先生だった。この塾とは高校卒業までの長いつきあいとなった。

エピソード7 (岩手・女)

中学校一年生の初めての期末試験が近づいていました。中間テストがない学校でしたから、生まれて初めての本格的な試験です。どのくらい勉強すればいいのか見当がつきませんでした。「このくらいやればいいかなぁ。」と思って、テスト前の1週間、毎日55時間勉強しました。テストは意外と簡単でした。ナント、1番になってしまいました。(学年80人くらいの小さな学校でした。)初めに「1番」なんかになってしまって、性格的に後に引けなくなってしまいました。母と一緒に書店に行って、問題集を選びました。問題集は自分で手に取ってみて、おもしろそうで意欲がわくようなものを選びました。見た目よりも、問題の質で選びました。それから、その問題集を繰り返し解きました。一年間で、各教科1冊ずつ、計5冊です。3年間、ほとんど1位をとり続けました。業者テストで1回2位になっただけです。しかし、ものの考え方はかなりいびつになっていました。中学生のときは、勉強した成果が出る→ほめられる→うれしい→ますます勉強したくなる→成果が出る…という循環になっていたように思います。生まれて初めて知ることがたくさんあっておもしろい、とも思っていました。ところが、高校に入ってからは、自分は1番ではない→だめな人間→劣等感→授業が怖い(恥をかきたくない)→→学習内容が頭に入らない→成績低下→劣等感強まる…という悪循環を繰り返すことになってしまったのです。数学などは、200点満点の5点という、今まで見たこともないような点数を取るようになってしまいました。「勉強」というものに対して、頭が閉じられてしまったような感じです。時々、学校を休むようになりました。授業を受けるのがつらかったのです。この体験を通して、劣等感というものがいかに人間をダメにするかということを学びました。また、「勉強ができるから私は優れた人間なんだ」という思いこみが、結局のところ自分をダメにしていったのだと思いました。

エピソード8 (岩手・女)

中3の6月。実力テストの成績が40点ほど下がる。中でも英語がガタ落ち。今まではもっとできたのに・・・。このままでは志望校には合格できない。合格したい、点数を上げたいが一心で出した結論が塾通い。行きたい塾は月謝が1万円。町内一高い月謝。親には「小遣い、いらないから」と頭を下げて通い出す。夏休みは毎日塾で3時間勉強。休みが開けても毎日3時間、塾で勉強し続ける。詳しそうだと理由で高校生用の英語の参考書を買い、それを見て自力で問題を解く。わからない問題は、答えを写し、解説をメモして再度挑戦。塾の先生が教えてくれたのは、難しい問題の解説だけ。それでも、参考書を読みながら自分の力で問題を解くという方法は、確実に英語の力を上げていった。小遣いをもらわず、高い月謝を払ってもらっているんだからと、毎日3時間の勉強をひたすら続けた。半年後には、9割の点数をとるほどになり、志望校にも合格した。

エピソード9 (埼玉・女)

中学校の3年の10月に祖母が脳軟化で倒れた。小学校教師の母親は、勤務校の近くの病院に入れ、昼間は親戚の人にたのみ、夜は泊り込んだ。家事は家族で分担してやった。勉強する時間は少なく、また、あまり集中できる雰囲気ではなかった。だから、参考書を読んでまとめる、というような細かいことはしないで、問題をひたすら解いた。赤い表紙の「1000題問題集」を4教科、数学は難問集をそろえた。ノートに問題を解いては、赤ペンでマルをつけていった。日曜日は母親と代わり、病室で問題集を広げた。1000題すべて終わったときには、とても充実感があった。3月の高校合格の発表を、祖母は半ば眠るような面持ちで聞いていた。祖母は気が強く、文句をいい続けていたが、半年間仕事をしながら世話をしてくれた嫁に、ありがとうといってから、3月20日彼岸に渡った。

エピソード10 (北海道・男) 

3年生の3学期になってから猛烈に勉強を始めた。勉強は連日深夜にまでなった。当然、慢性の寝不足で、夜も10時を過ぎると、眠くて眠くて能率がグンと落ちてくる。濃いコーヒーを飲んだ。窓を開けて北海道の零下の空気を部屋に入れた。しかし、効き目は最初だけだった。そんな時、画期的な商品が発売された。その名も”スリープノン”!!だったと思う。スティック状のノリのような形で、それを眉毛の辺りに塗ると、ハッカか何かの効果でスーッとして、眠気が覚めるというものだった。すぐさま、なけなしのこずかいをはたいて買いに行った。そして、テストの前日、いつも眠くなってくる午後10時。のび太に泣きつかれて、ポケットからお助けグッズを出すドラえもんのように、「ジャーン!!」と”スリープノン”を取り出した。そして、タップリと眉毛の上に塗った。スーッとするというより、痛みに近い感覚が襲ってきた。目を開けることができなかった。ボクは、痛みが治まるまで仕方ないと目をつぶっていた。そして、もう痛みがないと目を開けた時・・・朝だった。テストの結果は、もちろん散々だった。

エピソード11 (岡山・女) 

「だまされたと思って復習してごらん。」中学時代、ある先生の一言がきっかけで、英語だけは毎時間、授業があった日に復習することにした。時間は長くても15分。短いときは5分。その日習った文章を音読。単語・熟語・文法事項を納得するまで見直す。言いながら書くときもあるし、ながめただけの日もあったが、とにかく授業があった日は復習を欠かさなかった。英文だけを見て日本語が言えることを目標に。これで成果が出なかったら、「やっぱりだまされた」と、文句のひとつも言うつもりで・・・。試験1週間前、驚いた!英語がスラスラ浮かんでくる。つづりも覚えている。復習を始める前に試験勉強で割いていた時間の、約半分の時間で試験勉強ができた。結果もまずまず。好きな科目はこの方法で勉強した。高校の時の世界史も。日々の積み重ねが、試験勉強だと教えられた。

エピソード12 (兵庫・女)

中学校3年生の夏。私は、I go to the school. の主語 I が She にかわると She goes to the school. になることがわからなかった。3人称単数が全くわかっていなかった。英語の時間はちんぷんかんぷん。3年生1学期が終わって10段階で英語は2。単語テストだけは、がんばって勉強した。宿題だけは、提出した。夏休み前の懇談で英語の先生に「1・2年生の教科書でいいから音読しなさい」とアドバイスいただいた。夏休みに入り、1・2年生の教科書をひたすら読んだ。声を出して読んだ。ひたすら読んだ。8月中旬に入り、2年生の教科書を読んでいるとき、突然わかった。SheとかHeとかMaryとかTomのときは、Sがつく。doにSがついたものがdoesなのだと。つまずいたところがわかった私は、2学期の終わりには、10段階で6。卒業のときには、8。第1志望の公立高校の合格通知を手にした。私は今も、英語の苦手な子には、必ず言う。「1日5分、音読しなさい。」

エピソード13 (北海道・女)

家庭の事情で、生活費や学費をアルバイトでまかなっていた学生時代。夜中の3時まで、居酒屋で働く毎日でした。当然、試験勉強なんか、出来るわけがありません。そこで考え出した奥の手。そう、「カンニング」です。試験の直前、小さな紙切れに、直径2ミリぐらいの小さな文字で、ぎっしり書き込みました。その集中力は、すごかった。バイトの合間の休憩時間に、一心不乱に「カンニングペーパー」を作る大学生。見苦しい!しかし試験当日、小心者の私には、カンニングをする勇気なんてありません。ドキドキして、見ることが出来ません。そして、諦めてテスト問題を見ると・・・、なんと、解けるのです。我ながらびっくり。なぜ解けるか?そのからくりは、「カンニングペーパー」を必死に作りながら、実は、それが効率の良い勉強方法だったというわけです。「勉強の仕方が分からない」と言う生徒には、「カンニングペーパー」を作れ、とアドバイスしています。

エピソード14 (北海道・女)

大学受験も迫った最後の模擬試験。判定は「E」。「志望校を変更すべき」というものだった。しかも、生物の点数はなんと「8点」。大学受験の共通1次試験まで、あと1か月とわずか。そこから私の猛勉強が始まった。「進研ゼミ」の生物のページをすべて切り取り、1冊の本にし、来る日も来る日もやり続けた。1回目にやってわからなかった問題のみを2回目に。2回目にやってまだわからなかった問題を3回目に。というように、毎日続けた。本番では、なんと9倍の「72点」を取り、無事、大学にも合格。「やればできる」を実感したのであった。(注:毎年生徒に語っているものです。「最後の模擬試験で8点」と言うと、「げっ、おれより点数悪いじゃん」と言って、やんちゃくんたちも耳を傾けてくれます。)

エピソード15 (千葉・男)

社会科が好きだった。授業のあった日には、その日の教科書のページそっくり、ノートに写した。書くことによって覚えた。友達と、国名&首都あてクイズを出し合った。100カ国以上は国名と首都名が一致した。国語も好きで、教科書を何度も何度も読んだ。高校入試での国語のミスは一問だけだった。これは教科書を繰り返し読んだおかげだと思っている。

エピソード16 (北海道・男)

20年前、私は中学3年生でした。志望校を決めた私は、本気になって勉強を始めました。今思い返してみても、「よくあれだけ勉強したな…」と思うほど勉強しました。私の勉強方法は、重要事項や基本文法をひたすらノートに写していくものでした。そのため、1週間で厚めのノート1冊、赤ボールペン1本を消費しました。シャープペンシルの芯も、30本入り1箱が1か月持ちませんでした。
その90%が社会科でしたが…。時間は限られています。スケジュールを決めなければ、効果的な勉強はできません。そうは言っても、無理なスケジュールを立てても、長続きはしません。自分の生活リズムと、自分の正確にあったスケジュールを立てることが、長続きをする秘訣です。夜に弱かった私は、夕食前に2時間勉強することを自分に課しました。そうすると、見たいテレビも見ることができます。
しかも、11時には寝ることもできます。8時間の睡眠が確保され、授業中に眠くなることもありません。しかし、受験が迫ってきた3学期、思うように点数が伸びていないことに不安を感じた私は、11時以降も机に向かうようになりました。自分のペースが狂うということは、
あらゆる面に不安が生じることになります。遅くまで勉強していると、「勉強して何になるのだろうか?」「こんなことをして、本当に点数がとれるのだろうか?」と自問自答するようになりました。こうなると、焦りだけがつのります。勉強に集中できず、教科書を開いたり閉じたりを続け、時間ばかりが過ぎ去っていきました。まさに悪循環です。こんな時、気分転換を兼ねて、部屋の窓を全開しました。空気を入れ換えるためです。真冬に冷え込んだ空気が部屋にはいると、空気が新鮮になるように感じました。背筋が伸び、「もうちょっと頑張ってみよう!」と気持ちを切り替えることができました。また、星空を見て、気分を一新することもありました。冷え込んだ夜ほど、星がキラキラと輝いて見えるものです。今にでも星が降ってきそうな空を見ていると、心にあるモヤモヤが晴れていくのがわかります。

エピソード17 (北海道・男)

取り掛かりは遅かった。問題集をそろえたのは冬休み。数学は自信があったので厚めの問題集を、社会と理科は薄い問題集を、国語は、気休めにまとめの小さな参考書を買った。英語は、兄の問題集をお下がりで使った。まず手をつけたのは数学。ところが、やれどやれど進まない。いや、進んでいたのだけど、実感がなかった。社会・理科はどんどん進み、あっという間に終わってしまった。薄い問題集は、残りページがみるみる減っていく。やっていて気持ちがいい。国語は、ほとんど諦めの境地。それでも、勉強の合間に読んでいた。結局数学だけが問題集を残してしまった。半分以上も。問題集は、どんなものでも1冊終わらせると、ものすごい自信となる。自信を持つとやる気になる。やる気になるから、また進む。「問題集は一番薄いものを!」揺るがぬポリシーである。

エピソード18 (北海道・男)

中学1年生のときは、あまり勉強をしなかった。友達と山を駆け回り、遊んでいた。当然、成績はパッとしなかった。2年生になって、クラス替えがあった。学年1位の成績の子と、同じクラスになった。彼の第一声は「やあ、はじめまして。勉強できるんだってね」だった。笑顔で言われた。彼にそんな気はなかったのだろうが、当時の私はバカにされたと思い込んだ。カチンときた。そして、絶対に彼の成績を抜いてやると誓った。私は就寝時刻を遅らし、1日何時間も机に向かうようになった。1年生のとき、手を抜いていたぶん、勉強はキツかったが、「負けたくない」という気持ちだけで自分を奮い立たせた。母親は息子の気が狂ったんじゃないかと、心配したらしい。親にそう心配させるほど、人が変わったように、勉強に励んだ。彼との差は徐々につまり、ついに2学期の期末テスト。5教科の総計で、はじめて彼の点数を上回った。気がつけば、私が学年1位になっていた。成績は、市内一の進学校にすすめるものに変わっていた。高校入試、大学入試、そして教員採用試験。試験に合格するたびに、彼を思い出す。彼と出会っていなければ、彼を目標にしていなければ、今の自分はなかったのではないかと。


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